埴輪はどこかへ

楽しさも、憂いも、全て旅の中にある。

2021会津庄内下越旅行:3日目ダイジェスト

知られざる名所へ。

行程

7:41鶴岡→9:11桑川:羽越本線 普通村上ゆき

11:22桑川→11:42村上:羽越本線 普通村上ゆき

13:25(+6)村上→13:32(+5)坂町:羽越本線 特急いなほ8号新潟ゆき

13:35(+3)坂町→13:47(?)越後下関:米坂線 普通米沢ゆき

14:35越後下関→14:48坂町:米坂線 普通坂町ゆき

15:26坂町→15:47新発田:羽越本線 普通新潟ゆき

15:50頃→不明,小町通り:新潟交通観光バス 万代方面

17:04新発田→17:32新津:羽越本線 普通新津ゆき

17:42新津→18:36長岡:信越本線 普通長岡ゆき

19:56長岡→20:40浦佐:信越本線/上越線 普通越後中里ゆき

20:57浦佐→22:03大宮:上越新幹線 Maxとき348号東京ゆき

 

この日は朝は比較的ゆっくりの出発でしたがそれでも早いので鶴岡土産のようなものはほとんど手配できず。庄内の食文化は本当に素晴らしいので何遍でも行って食べたくなります。

普通列車はゆっくりと海岸線沿いに戻り、あつみ温泉駅で20分ほどの停車。温泉駅を名乗るものの肝心の温泉街からはかなり離れているため、漁村という風情がありました。

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心も体もゆったりしたい。The国鉄駅 という外観。

再び同じ列車に乗り込んで今度は桑川駅で下車。桑川漁港に向けて歩きます。途中には「ホテル沢」も。到底宿泊できるような場所ではありません。

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宿泊してみる方を募集しています(いません)

そして桑川漁港へ。笹川流れ遊覧船に乗船しました(フリーパスを見せると100円引きになったような気がします)。日本海の荒海にそこまで大きくない船で出ることと、また陸路海路ともに難所と言われた笹川流れの沖を航行することから想定以上に船の揺れが大きく、途中から写真撮影時以外は力なくデッキのベンチにヘナヘナと座り込んでしまう状態になりました。ただ、トンネルやロックシェッドが多い羽越本線の当該区間からは絶対に眺められない奇岩美は、薄曇りの空模様の下でしたが一つの旅行の到達点のようにも感じられました。海岸線に背を向けるとそこには粟島浦村の島影が遠くに霞み(といいつつ結構大きいので驚いた)、ふと海岸に目を向けるとそこには日本海縦貫線を力強く走る貨物列車や特急いなほの姿がありました。陸を這うのんもいいですがたまには離れて相対的視点も持ちたいものです。

 

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ジオラマみたいというのはこういう時に使うらしい

数十分の充実した船旅を終えて再び桑川漁港へ。桑川漁港の売店は2Fがレストランになっており1Fで購入/注文した商品を上で食べられます。自分は1Fで買った干物おつまみセットのようなものとおむすびを食しました。普段干物とは縁遠い一人暮らしですが、こういうのもいいなあと思い、日本の朝ごはん(昼ごはんですが...)という気持ちになりました。

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この豪快さがよい。種類も豊富で、とてもお得

ところで、桑川駅は道の駅笹川流れと合築になっています(正確には駅の出入り口がその建物の片隅にあるという程度ですが)。売店もなかなかの品揃えで、塩を購入しました。

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海里の気配

次は村上市街地へ。当方としては感染症対策はしっかり行っております(街路の歩行中であっても二重の不織布マスク着用、設備利用時の消毒、消毒グッズの携行など)し、街の人には極力迷惑をかけないように努めております。このときは全て外観のみの見学。全体に町の構えとしては岩船郡の首府として一通りの行政的機能や企業の支店が集積しているという感じ。

若林家住宅(国指定重要文化財)茅葺きの武家住宅で、門構えもかなり立派。

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その他公園内に何棟か武家住宅が保存されていて、外観上はその状態もとてもよさそう。城下町としての矜恃を忘れない街の強さを実感。

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その他、町家の保存や黒塀の造成など、かなり景観保持に気を使っているという印象でした。

街並みの中には、浄念寺本堂(重要文化財)。白漆喰で塗り固められた蔵造りの本堂は異色(社寺建築で蔵造りは類例をあまり見ない気がします)。

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村上駅へ戻り、指定席券売機で自由席特急券を購入していると不穏な放送が。いなほが定刻に来ないとのこと。坂町での接続は元々が芸術的で、米坂線自体の本数は壊滅的なので、これが崩壊してしまうとかなりまずい。いなほは遅延を回復するような運転をすることはできずノロノロ越後平野の端っこを進んでいきます。坂町に着くと米坂線の列車はちゃんと待っていてくれました。なぜか座席が全て埋まり、立ち客も出ている想定外の混雑。

老若男女いろんな人を乗せて米坂線の1両の汽車は走ります。まっすぐなのに妙にがたつく軌道、一面稲穂が首を垂れている越後平野の原風景、線路沿いの風に靡くススキなど、全ての旅情が詰め込まれていました。10分前後で越後下関駅に到着。ここも国鉄の風情が残る駅。委託の駅員さんが地元の方の相談に親しげに乗っていたのが印象的でした。

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ホームから眺める贅沢な秋

越後下関駅から出て突き当たるところの通りは18世紀の街並み通りと呼ばれていて、古くは米沢街道(新潟と米沢を結ぶ道)として栄え、現在でも関川村役場の前の目抜き通りとしてその中心性は失われていません。18世紀というのがかなりミソで、多くの重伝建ではせいぜい明治大正期の街並みの残存状況を評価するところですが、ここでは江戸時代そのままの風景に近いというのがかなり刺さってくるのです。間には昭和レトロのような建物もありますが、全体としては兜造の屋根の圧力が素晴らしい景観の引き立て役になっているのです。

 

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目を疑う

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村役場の正面にある渡邊家は古くからの大庄屋であり、現在も保存会のご尽力で江戸時代中期の建築が保存され、その広大な屋敷と蔵並みを後世に伝えています。建築自体は屋根の傾斜が緩い石置き木羽葺きのタイプで、長野県南部の建築との類似点も見られます。内部の雰囲気はもう最高。妄想の域(褒め言葉)に達していたので、思わず館内で販売していた藁の工芸品を購入してしまいました。末永くこの街が歴史に名を刻み続けますように。

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さすがは米どころ

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全ての空気が良い

残念ながら米坂線のダイヤ的にとんぼ返りになってしまうので泣く泣く越後下関を離脱。坂町で暇をしたり切符を買ったりして、ゆるゆると新発田へ。立派なアーケードはその中心性を物語っています。

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車窓から

お目当ては新発田城。駅からは少し遠く、また城跡の半分は今でも自衛隊の基地として運用されているため立ち入りできるエリアはそんなに広くはないですが、重要文化財の大手門や櫓、そして復元された櫓の内部を見学することができます。しかも全て無料。正直そこまで深く期待していたわけではないのですが、その歴史の蓄積と、正しい継承への努力に頭が上がりません。

 

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だいぶ足も疲れてきたのでゆったりと新発田駅へ。中心街の再開発も徐々に行われ、今後繁栄してほしい街の一つです。

そのあとは羽越本線水原区間。幹線の名残の長いホームは持て余され、日本の鉄道輸送のだんだんの衰退を物語っているようでした。車内から望む山の景色は雄大

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乗客も大変少なかった

そのあとは一路長岡へ。長岡でいかに安く満足感のある食事をできるか考えて選ばれたのはイタリアンでした。初めて食べましたがこれはとてもよい。今後長岡で乗り継ぎ時間ができたら食べることにしましょう。

 

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ヤスダヨーグルト売店にあった謎の健康ドリンクとともに

そして特急券の節約のために浦佐まで先行。浦佐の駅はがらんどうという言葉がとてもよく似合ってしまっていました。そんな駅のホームにもこの日はお客さんがちらほら。この日はE4 Max の引退が迫っており、また別にE4 Max でなかろうとこの時間に帰りたいという人もいる時間帯だったため列車は大変な混雑。E4 Maxの窮屈な3×2、2F建てが究極なまでの満員になっていました。高崎から前に増結ができ、そちらに移って混雑は緩和され2F席にもありつけましたが、そこまでがなかなか修行状態でした。最初で最後の2階建て新幹線体験になってしまいましたが、東京や新潟に足を踏み入れたこともなかった昔から、鉄道図鑑で見ては乗ってみたいなあと思っていました。出会いも別れも突然のものになりましたが、今後このようなある種力業な車両は出てこないのかなと思うと少し寂しいところではあります。

 

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Thank you Max

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向こうにお前がいるのも、そこにそのステッカーがあるのももう最後

そして大宮に無事到着。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。この旅行は東京起点のコンパクトなものであることから、なんか暇だなあ旅行しようと思い立ったときにでも参考にしていただけると幸いです。