埴輪はどこかへ

楽しさも、憂いも、全て旅の中にある。

2021丹後若狭旅行:2日目ダイジェスト

さわやかな日差し、青と緑と樹木色のコントラスト。今回は文章少なめ、写真多めです。

 

行程: 東舞鶴市街地→(R27)→ UMIKARA(高浜町)→(R27)→うみんぴあ大飯(おおい町)→(R27)→小浜市街地→(R27,R303)→熊川宿→ (R303) →木之本(長浜市

前回からだいぶ投稿の間隔が開いてしまいましたが、簡潔に言えば旅行や生活をしていました。

それはともかくとして丹後若狭旅行の2日目。主に若狭地方の話です。

とりあえずホテルで朝食をとって、東舞鶴の市街地を散歩。東舞鶴はもともと漁村だった西舞鶴とは異なり軍事的な側面から街の基盤ができたこともあり、中心部は綺麗な碁盤の目になっており、アーケードや片持ちも多くありますが、人口減少や中心性の喪失に伴う寂れかたにはやはり一抹の淋しさが漂います(休日の朝だったというのもあるかもしれませんが)。

海の京都特有の看板

そこに生活はあるか

立派ですね


赤レンガ倉庫は重要文化財。内部は文化施設や土産物屋に改装されているところもありますが、立ち入り禁止で補修が追いついていない棟もあって、文化財保護の大変さを感じさせます。なんにせよ青空に映える。美しい艦艇もありましたが安易には投稿しないことにします。

穏やか

たくさんある

続いて車に戻って県境を越え、福井県高浜町へ。原発で栄えていることで有名ですが、もとからあった小さな漁港には新しい商業施設ができ賑わいが創出されていました。街道筋も古い建物がなかなかたくさん残っています。

リゾート感

洋風建築は人生に欠かせないと思う

続いておおい町の道の駅うみんぴあ大飯へ。科学館などと同じ街区にあるまとまった観光施設ですが、えらく混雑していたのでざっと見てスルーしてしまいました。こちらも潤沢な資金を感じさせる施設の作られかたをしています。(写真すら残っていなかった)

そのままR27を東進。小浜市の中心街の観光施設、旭座の横にあるまちの駅に入り情報収集をしたのち小浜西組重要伝統的建造物群保存地区へと向かいます。

駐車場の前の通りも建物は新しいながらも電線の地中化や修景が統一的に行われておりかなり視覚を喜ばせます。

観光地としてのつくりかたが上手

重伝建の指定範囲自体はかなり広大なのですが、はじめのうちは古い建物は数多くありますが「まちなんでいる」とまでは言えず、登録有形文化財の旧医院などが散在しているという感じです。しかし現在の市街地からみて一番奥になる三丁町に、まさに三丁分のすてきな小路が残り、繁栄の歴史を今に伝えています。

 

生活がある

夏空とのコントラストがいいですね

続いて車に戻り、若狭彦神社/若狭姫神社へ。独特の作りの社殿配置に文化を、巨樹に信仰の歴史を感じます。若狭エリアは狭いながらも古社寺の残存状況がとてもよく、小浜市を中心に周遊型の観光が可能になっています。

若狭彦神社

大樹

続いて福井県唯一の国宝の建造物である西明寺へ。鎌倉時代から室町時代に整備された堂宇の一部、本堂と三重塔が今でも残ります。古色そのままの本堂の内部では、鎌倉時代仏教建築特有の格天井が観察でき、また仏像群の配置も壮観です、また脇の棚には、若狭地方の社寺で綿々と受け継がれてきた祈願札が保管されており、人々の信仰の歴史を伝える重要文化財となっています。三重塔には青紅葉が映えていました。秋に来るとすごいんじゃないだろうか。

西明寺本堂(国宝)

西明寺三重塔(国宝)

さらに車を進め若狭町(旧上中町)の熊川宿重要伝統的建造物群保存地区へ。店を畳むのがかなり早いようで15:30頃には道の駅以外のほとんどの店が閉店準備をしていました。通りから人が少なくなったその瞬間を捉えればそこは江戸時代のタイムカプセルそのものです。江戸時代はもっと人通りがあったかもしれませんが。やや農家っぽい建て方の上流側から、完全な町家の下流側への遷移が面白いですね。心が充電されることから、人呼んで🔌。

 

🔌(中央部)

🔌(上流部)

🔌(下流部)

そのあとは東海/近畿から若狭への最短経路の一つたるR303で滋賀県へ。琵琶湖の北岸を走行して木之本へ到着し、そのまま帰宅しました。

爽やかな夏を日本海側で過ごしてみるのもとてもよいのではないか、という感じです。リゾートの中で歴史を感じられる地域、みなさんもいかがですか。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。