埴輪はどこかへ

楽しさも、憂いも、全て旅の中にある。

2022四国旅行:3日目ダイジェスト

一足早く来たような嵐に、身を任せて。



前回のつづき。今回は旅程に時刻の情報を書いていませんが、これは今回の旅程の各所で現在までの間に大きなダイヤ改正や改組があるなどして記載するのが余り意味のない状態になってしまっているからです。四国は人口の割には地方のバス路線が頑張っている地域なので、どのような運営方法であれ、末永く残ってほしい…

 

 

旅程の三日目は愛媛県の御荘平城から。朝早くに出るバスを逃すと数時間に渡って旧西海町の中泊方面に向かうバスが来ないのでわざわざここに宿泊したのでした。

 

雨の中早朝のバスに乗車。乗客はほとんどいませんが、国道を越えるとすぐに山がちな半島の脊梁に向かいぐんぐん登っていきます。



しばらくすると小さな中心集落に至りますが、バスは再び山を登りかえして半島の反対側の海岸に出て、中泊の細路地を軒先に擦りそうになりながら通過すると、終点の外泊集落に至ります。

 

外泊集落の歴史は、隣の中泊集落の人口が飽和したため、次男坊や三男坊を新しい集落を開墾して移住させようというアイディアから始まりました。しかし険しい宇和海のそのまま海に落ち込むような半島郡にはそう簡単にまとまった数の人間が移住できるスペースなどありませんでした。そしてついに中泊集落から小さな尾根を一つまたいだところの斜面に、マチュピチュとも形容されるような立派な石垣を何段にも築き、下から十数段を居住スペースとして、それより上は畑として利用することにしました。その石垣の積み方の品質は素晴らしく、現在に至るまで致命的な破損はなく集落の景観を印象づけており、その各段を縦横無尽に結ぶ細い路地の階段群も、雨の日は滑りやすく大変でしたが生活の風景としてはすばらしいものです。



宇和海の漁村の中では比較的外洋に直接面している向きと位置にある外泊は、否応なく台風などによる暴風雨にさらされ続けることとなります。厳しい気候を凌ぐため、石垣はあえて家の屋根の高さ程度まで積み増しされており、それでも漁民として海況を伺うために、石垣には小さな窓を開けてあったようですが、いまその高さまでの石垣が残っている家は少なく、明確なものは多くは見られませんでした。また、上の方に行くと住居が取り壊しになっている区画もあり、2022年初頭に起きた豊後水道での地震の影響も受けて損壊している部分もあります。また、集落の裏側のかつて稜線近くまで立派な石垣の段々畑が続いていたとされる部分も多くが森林へと還っています。様々なものが徐々に縮退していく世の中ですが、この風景が後世へと残ることを切に願います。

 

そのまま一度御荘まで戻り、市街地にある観自在寺へ。四国遍路の裏関所と呼ばれる、一番札所から最も遠いこの札所は、大雨の中、なんとなく南国らしい雰囲気を醸し出していました。ご朱印をいただき、参道の入口にある郵便局に訪れて風景印を回収。すぐにバスに乗り込みます。



城辺営業所でほのぼのした乗務員交代を見届けて、宿毛へ。季節外れの大雨で屋根の下から一歩も動けません。

 


ここから高知西南交通のエリアへ。とりあえず大月の道の駅に向かいます。雨は一層強くなり、バス停から売店までの道すがらだけでずぶ濡れになってしまいます。ちょうど昼時になったので、売店にあったかます寿司とブリアラの唐揚げで昼飯としました。かます寿司は柑橘系の酢が使われていて想定外に甘く、身に沁みます。頭までついていてびっくり。アラの唐揚げは自明に美味しい。



さらに進みますが、次のバスは清水の市街地まで。30分ほど時間があったのでプラザパルのまわりを散歩しました。人口1万と少しの街としては商業施設はしっかりしているという印象を受けましたが、周りの都市からかなり隔絶されているのが原因でしょうか。



窪津周りのバスがやってきたので、足摺岬で大浜周りのバスに乗り継いで足摺半島を一周することにしました。窪津周りのバスには多くの地元住民が乗っていて、途中にいくつかある集落で頻繁な下車があり、元気で実用性のある公共交通という感じでした。数十分で足摺岬に到着。ついた瞬間に暴風雨で逃げ込んだ土産物店から一歩も動けません。

 

十数分待つと、嘘のように雨が上がったので38番札所の金剛福寺へ。厳しい自然環境故か建物はむしろ新しい印象を受けましたが、境内は独自の世界観で美しく統一されており、好印象です。


ご朱印を頂きました。

 

つづいて足摺岬灯台が見える展望台へ。願わくば晴れていてほしかったですが、断崖の下に打ち付ける荒波と、深さの知れぬ青い淵が、この場所の最果て感をもり立てます。景色がよくのんびり眺めていたので郵便局までは進まず。



帰りは大浜周りとしましたが、ルート設定が玄人的で、現在快適な二車線道路が供用されているにもかかわらず、フリー乗降区間をなるべく集落内に設定するため、ひたすらギリギリ一車線の旧道を縫うように走行します。左は切り立った崖から海へ、右は切り立った崖から半島の稜線へ、へばりつくように広がる集落の細道や林のトラバースをひたすら進んでいき、乗客ですら心配になるほどです。

 

そのままバスを乗り続けて、清水の市街地を一往復半してから中村へ。途中で見えた海岸が凄まじく美しく、高知県の本気を見せつけられました。

清水から中村も大変長い。路線バスに(足摺からだと)2時間以上揺られることになりますが、こういう路線もなかなか少ないでしょう。直接中村の市街地(市役所あたり)まで。幡多地方の首府として栄えた中村は、度重なる地震や台風に傷つけられますが毎度復興。歴史的な建築はあまり見受けられませんでしたが、今でも人通りがあって、店の世代交代も進む全蓋式のアーケードもあります。かわいいたぬきケーキもあってチャーミング。スーパーや物産館も人口の割にはかなり充実しており、商圏の広さを感じさせます。

 

この日はスーパーの土佐寿司を食べて、中村で宿泊しました。幡多地域を車なしで旅するというのは一見無謀な試みですが、意外といけるものです。