埴輪はどこかへ

楽しさも、憂いも、全て旅の中にある。

2022山陽山陰地方旅行:1日目[矢掛/吹屋/新庄]ダイジェスト

生業を積み重ねて、まちを紡ぐ。

四国旅行の6日目には徳島駅から脇町・塩飽本島を経由して岡山駅に戻ってきました。今回はタイトルは変更していますが(前回宣言したとおり)その続編。岡山駅からとりあえず山陰方面に向かいますが、ただ伯備線でまっすぐ行ってしまうのも味気ないので、岡山県内陸部をうねうねと眺めたという記録です。今回は行き先がわかりにくいので題名に訪問地を付しています(他の記事も順次変更するかもしれません)。

山陽や山陰はすでに何度か訪れているので、真の有名所というのはここでは掲載できないかもしれませんが、数回目だからこそのややディープな見方を楽しんでいただければと思います。

(2022.7.20 そういえば新庄村は備中ではなく美作だったのを失念しておりましたので改題。)

 

岡山駅の朝は雨。さすが政令指定都市の駅前は人通りが多いです。ここから矢掛へ向かいました。

矢掛は西国街道の宿場町。ごく最近に指定された重要伝統的建造物群保存地区です。備前国内の西国街道が概ね山陽本線(一部は赤穂線)や国道2号と同じような場所を通過していたのと対照的に、備中国内ではそれらからやや内陸よりを通過しており、現在の吉備線井原線の道筋にあたります(備後国には神辺から入ることになります)。

 

山陽本線沿いの各都市は大きく発展しますが、倉敷の美観地区や玉島(駅からは遠い地域)などにかなり歴史の蓄積を感じられる街並みを残しています。一方で西国街道沿いは一時的に交通の主軸から外れたわけですが、だからといって衰微したわけでもなく、矢掛町は現在でも岡山県内の「町」の中ではもっとも人口規模が大きくなっており、重伝建に指定されている旧街道筋も、タイムカプセル化しているというよりは、豪奢な古建築の合間に現役の商店も存在しており、今でも人通りや車通りが絶えない生きた街並みといった感じがあります。

街並みの中心となる建物は脇本陣の高草家住宅と本陣の石井家住宅で、ともにあっと驚く規模の現存建物で、重要文化財に指定されています。この2つの屋敷は現存町家ではそうそう見ない凝った意匠のある建物で、古くの人通りの多さを物語っています。曜日の関係でどちらの内部も見学できなかったのが残念。

その二軒以外にも多くの建物が修景を施されたり、もとより現存であったりと連続的な街並みを形成し、特に一階部分の商店が生き残っているのが活気を生み出していて好印象です。無電柱化や舗装、特徴的なマンホールまでもにこだわっていて、今後の岡山観光では注目スポットの一つではないでしょうか。というか無電柱化の風景のすっきりさに与える威力ってすごいですね。

*ほぼ同じ場所で画角を違えています どちら側も違った味があってよい

つづいて高梁市(旧成羽町)にある吹屋地区へ。結構最近までまともにすれ違えない道をひたすら進まないと到達できなかったほど隔絶された山の中ですが、現在では広域農道のおかげで交通状況は改善しています(路線バスは依然として狭い道を通ってきますが)。

吹屋地区は重伝建のなかではかなり有名な部類に入るのではないでしょうか。主にベンガラ(酸化鉄材料で、赤色の顔料として用いられた)の採掘・精製・販売で栄えた街並みは、緩やかな坂に沿って長く曲りくねるようにして続き、瓦を鈍色に整え、一部の家屋は壁面までもベンガラを塗っています。また多くの家屋が格子戸など木製の意匠をベンガラで彩色しており、ここにしかない特異な景観を形成しています。

訪れた時期は3月のもう下旬でしたが、まだ山の上ではオフシーズンと言ったところで資料館は一部しか開館していませんでしたが、それが街並みのなかで最も重要な建物の一つである重要文化財の旧片山家住宅です。主屋の内部は広い土間に落ち着いた設えで整えられており、山奥の集落であることを全く感じさせませんし、2階部分についてもかなり機能的な構造をしています。そして裏側には数多くの蔵が建っており、以前ご紹介した新潟県関川村の渡邊家に通じるところがありますが、こちらでは内部が資料館として開放されており、貴重な資料が数多く公開されています。あまりにも優れた空間に思わず長居をしてしまいました。

観光地として(重伝建の中では)比較的初期に見いだされたため、土産物屋やレストランは数は多くないながらも整っており、また街並みの中にある郵便局では、かなり凝った風景印がいただけます(外に風景印の宣伝が有るのも観光地ならでは)。

 

街並みをゆったりと歩けば各家にちゃんと説明板があり、家主の変遷などが細かく書かれていて、街全体が博物館というのはこのことかという感情になるところです。

 

つづいて吹屋から成羽方面に数kmにある旧広兼邸。八つ墓村のロケ地にもなったことのある屋敷ですがそのようなおどろおどろしさのようなものは一切なく、個人邸のものとは思えない巨大な石垣が印象的です。物見櫓のある門をくぐれば細長い屋敷地にうまく建物が収まっており、谷を見渡せばその向こうに山が連なります。あたりの山は古くは全てこの屋敷の持ち主の私有地だったとのこと。勢いを感じます。

そういえば下谷地区に言及するのを忘れていました。下谷地区は吹屋から川面方面に急坂を下った先にある数軒の集落ですが、そう単純に済ませていいものでもなく、狭い県道沿いに大きな屋敷が向かい合って存在しています。そのなんとなく赤茶けた軒先の風景は全く観光地化されたものではなく、むしろ生活がまだそこに息づいているような感覚を想起させるようなものでした。いつまでも残していってほしい風情です。

さらに進み鳥取県境の明地峠にたどり着きました。雲の合間からまだ雪の残る大山の頂きを眺めることができます。大山は米子市や大山町側から見ると美しい円錐形をしていますが、北栄町琴浦町から眺める、今回のように岡山県側から眺めるなどすると横や裏の稜線とのつながりが見えてまた違った美しさがあると思います。手前に広がる森林も合わせて、この見通しのよさは凄まじいダイナミックさといえます。

鳥取県に入ってすぐの日野町の金持神社に参拝。金持神社は名前からして金運が向上しそうな稀有な神社ですが、行った時間が遅かったのか社務所売店はもう開いていませんでした。しっかりお願いはして、神社に行く途中にある清らかな川をしばし眺めていました。

祈願

再び岡山県に戻り、新庄村の道の駅へ。店内はとてもおしゃれに陳列されていて、山里ならではの物産品も多く販売されています。思わずさるなしのジャムを購入してしまいました。

 

ここでの見どころは「がいせん桜」と呼ばれる一種の街路樹が調和したまちなみです。古くから出雲街道の一つの拠点として栄えた新庄では、様々な建築の様式が混在したわりかしゆとりのある印象の宿場町が形成されました。さらにこれは明治時代の後補ではあるのですが、各家の前には桜が植えられており、街路樹という概念が登場した日本ではごく初期の例なのではないかと思います。温暖な地域ではもう桜が見頃を迎える時期ではありましたが、まだ山里の春は遠く、澄んだ青空と遠くに見える特徴的な山の緑がまだ冬の空気を伝えているように思いました。美しい村が雪に閉ざされるときにも、そして桜が咲き誇るときにも、時季をかえてまた訪れたい豊かな里です。

山里なのに極めて直線的

理想郷

そのあとは日も暮れてしまったので鳥取県の米子に向かい宿泊となりました。2日目に続く。