埴輪はどこかへ

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2022山陽山陰地方旅行:2日目[隠岐島前]ダイジェスト

山陽山陰地方旅行1日目では、岡山県の矢掛、吹屋、新庄を訪問しました。2日目はその続き。鳥取県米子市からスタートです。今日は珍しく自然満喫型の観光です。

実は米子に滞在するのは初めてだったのですが、街歩きをする時間は取れませんでした。また訪れたい。そのまま駅に向かい境線で境港に向かいます。

当然これは境線の車両ではありません(人が多すぎて撮れなかった)

車内に高校生を満載してゆっくりと進んでいきます。極めて駅が多いですが各駅でしっかり利用があるのが頼もしい。1時間ほどかけて境港に到着です。

少しだけ乗り継ぎに余裕があったので境港駅周辺を散歩。完全にゲゲゲの鬼太郎で染められた町も早朝は静かです。

境港駅から七類港フェリーターミナルへ移動します。境水道大橋を渡る抜群の車窓、速やかに山を越えて七類に至ります。境港から七類は直線距離は極めて近いですが、歩こうとなると大変ですね。

七類港ターミナル周辺は食料を調達するのも一筋縄では行かない静かな漁村ですが、メテオプラザの建物は結構立派です。朝には隠岐の島後ゆきと島前ゆきのフェリーが30分ずらして出港しますが、大きなフェリーが2隻縦列に並んでいるのはなかなか圧力のある風景です。

島前先回りのフェリーくにがに乗船。船内には売店もあり、絨毯敷の部屋や椅子とテーブルが備えられたフリースペースなどいろいろな空間があり広々しています。船酔いで少しヘタってしまったのでデッキには出ず船内でゆったりと過ごしました。

目を覚ますともう島前の特異な地形が窓の外に見え、すぐに知夫里島の来居港に到着です。

来居港はターミナル(観光案内所やお土産屋がある)やガソリンスタンドの他に目立った施設はなく、集落も大規模には形成されていません。後ろの崖に登っていく立派なループ橋が目に付きます。

 

知夫里島に上陸し、早速赤ハゲ山展望所に向かいます。知夫里島の中心集落はターミナルから一つ稜線を超えて別の湾にあり、活発な人の営みを感じる場所で、海も割と穏やかです。いくつか集落を通り抜けて道も細くなり、道路は牧場内に入っていきます。たまに路上にいる牛馬が移動するのを待つ謎の時間を過ごしつつ山を登り、駐車場に到着です。

下り途中の写真のほうが「典型的」だったのでこれで代替します

舗装路にはそこかしこにテキサスゲートと呼ばれる牛馬侵入防止用の幅の広い鉄網のようなものがあるのですが、我々人間もたまに足を取られそうになります。

駐車場からうねうねと上がっていくと赤ハゲ山展望台があり、ほぼ360°の大パノラマに出迎えられます。北側にはカメラの画角に収まりきらないほどに広く展開した西ノ島。真ん中がくびれているのがよくわかります。翻って南側は知夫村の主要集落の方面。角度的に人家が見えるのは仁夫の集落ぐらいですが、このような険しい地勢の島にもかなりの生活の営みが有ると考えると感動します。展望台はあまりにも風が強く到底生活できるような場所ではありませんし牛馬もあまり来ませんが、集落が立地している場所はうまく風を山で避けるような形になっているのでしょう。

北側 西ノ島を眺める

西側 なにもない

南側 知夫里島の集落方面

つづいて道路上の牛馬に注意しつつ知夫赤壁へ。駐車場の脇には古墳があり驚きました。

肝心の赤壁ですが、まさかのまさかの遊歩道に牛が通せんぼ。突かれたら怖いし脇に出るわけにもいかないのであえなく退散。再訪を期します。



急いで下山して、内航船に乗船。島前の内航船は高速船タイプとフェリータイプがあり、島前各港間の物資や乗客の輸送をしていますが、とくに「いそかぜ」については極めて本数が多いので驚きました。同一人口規模の本土の自治体に向かうバスより本数が多く、夜遅くまで動いているぐらいかも知れません。島前から島後や本土に向かうのは一日2~3便ですが、島前内の移動はこの海の上を走るバスのような存在によりかなり便利になっていると思います。しかも1回300円とかなり安い。途中の海士町菱浦の港からは大量の乗船客。船で立ち席というのはほんとうに久しぶりに見ましたし、島の活気を感じられてとてもよかったです。

海士町菱浦

西ノ島の別府港で下船。内航船は小綺麗なターミナルを利用しています。人家も結構ある。

西ノ島町別府

別府港からは山を越えて国賀海岸に向かいます。離島とは思えないしっかりした道とダイナミックな自然景観に驚きの連続です。

浦郷はかなりまとまった集落ですが、その内部を探索する時間はなく直接国賀海岸へ。最近の台風で結構大きい被害が出ていたようで道はきれいに修復されている部分が多いです。

 

国賀海岸は「天上界」とよばれる奇岩と、「通天橋」と呼ばれる海蝕洞地形が見どころとされています。駐車場のところから延々と坂を下っていくと園地になっており、異常な尖り具合の岩を正面から眺められたり、また雰囲気のいい神社があったりします。少し右側に行くと通天橋のダイナミックな地形を眺めることができます。

 

 

つづいて摩天崖へ。摩天崖は日本でも有数の落差で、海面上200m以上から直接切り立った崖の上に立つことができます。その正確な高さの感覚は真上に立ってしまうと正直よくわからなくなりますが、西ノ島の西海岸を一望してその地形を険しさを体感することができますし、振り返れば西ノ島のくびれをまた違った方向から確かめることもできます。荒々しさの中にも繊細な曲線美を感じることもある、感動的な島です。また崖の上に立つ馬が、在来種なのか大変小型ですがとてもかわいいです。彼の目からはこの風景はどのように見えているのでしょうか。

 

港に戻る途中に島の中部、波止集落から焼火山に登っていきます。途中の道は台風の爪痕が残り、かろうじて車一台分の幅が確保されている外は鋭利な石がごろごろしているようなところもありました。

焼火山は島前の中心となる火山で、知夫里島知夫村)や中ノ島(海士町)、また西ノ島の黒木から珍崎にかけての部分はその外輪山のようなものと考えられています。島前の中では最も目立つ存在であることから、古くから信仰の対象となされ、その中腹には江戸時代の建築が今も残り、海上交通の神を祀る焼火神社があります。

 

急な参道を登っていくと、正面の拝殿の横に直交するように、なんと岩盤にすっぽりとはまるように本殿があります。行く前に写真で当然確かめていましたが、実際に見るとなかなか神秘的で感動モノです。

 

このような建築を見ると、離島に優れた宮大工がいたのかと感心してしまいそうになりますが、実際には上方であらかたの部品を加工して、それを隠岐まで運んできてプレハブのように組み上げたそうです。いずれにせよコンパクトながらも曲線美も感じられ、そしてなによりもその空間にあるということ自体が尊いです。数百年の厳しい気候に耐え信仰をつないできた社殿は何を語っているでしょうか。西ノ島は自然景観の優れからで取り上げられることが多い島ですが、こういう文化の蓄積も注目されるべきで、少し不便ではありますが西ノ島を訪れたらぜひ焼火神社にも寄っていただきたいと思います。

別府港に戻ると島後への船が出る直前でした。島前と島後は「隠岐」と一緒くたに扱われることは多いですが、そんなにすんなりと移動できるわけではなく、船便は高速船とフェリーを合わせて一日2~3便程度しかありませんし、フェリーだと1時間以上かかります。たそがれの日本海を大きなフェリーでゆったりと進んでいくと、島後・隠岐の島町の西郷港に到着しました。

18:30ぐらいの到着でしたが、まだオフシーズンだったこともあって夜まで営業している店はまばら。郷土料理店で軽く名産の隠岐そばを食べて、本土にもありそうな大きなドラッグストアがあるのに驚きながらそのまま宿へ向かいました。