埴輪はどこかへ

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2022年山陽山陰地方旅行:3日目[隠岐島後]ダイジェスト

海原の中にたゆたう文化の薫り。

 

しばらく更新の間が空いてしまいましたが、前回の記事では米子から境港、七類へと移動して隠岐汽船に乗船。島前の知夫里島と西ノ島に訪問した部分をご紹介しました。今回は山陽山陰地方旅行の3日目、隠岐諸島のうち島後(隠岐の島町)を半周ほどして本土に帰還する様子をお届けします。

 

翌朝、宿でかるく朝食を取って、西郷の港へ。それなりに大きな集落で、行政施設なども集積していますが、朝の街は静かです。正直、大きな街に出るまでに時間がかかることとコンビニがないことを除けば、本土の同程度の人口規模の街よりも便利に暮らせるかもしれません。

移動してまず屋那の船小屋へ。復元されたものではありますが味のある建築です。海の透明度も高く、後ろには本土ではあまり見かけない形の変わった山が聳えています。

隠岐諸島は最近何度も台風による大きな被害を受けています。日本の滝百選にも選ばれている壇鏡の滝(裏側から滝を観察できるらしい)へは道路の補修工事のため到達することができませんでした。再履修が必要ですね。

かわりといってはなんですが那久岬へ。これはダイナミック。島前と同じように「北海道よりも北海道」みたいなものを感じてしまいます(北海道について詳しくないのがバレてしまいますが)。

ついで油井前の洲などを通って、五箇の集落へ。旧五箇村は海を隔てて遠く韓国と向き合うまさにフロンティアの土地の一つですが、集落には穏やかな時間が流れていました。

 

集落の外れには隠岐国の一宮に比定されている水若酢神社があり、隠岐諸島に特有な(神明造と大社造を組み合わせたような)隠岐造の社殿が残されており重要文化財に指定されています。境内は美しく保たれ、新緑の美しさに素朴な茅葺きの社殿が映えて荘厳です。西郷の港からも遠く、到達の困難さからここで一宮めぐりを終える人も多いのだとか。



その横には、もともと西郷にあった旧周吉郡他三郡役場の建物が資料館として保存されています(もともと島前と島後をあわせて4つの郡があったのでこういう名称になっていますが、戦後に合併して隠岐郡となりました)。西郷の港の栄えぶりを今に残す建物です。

ついで、ローソク島展望台につながる道も土砂崩れで通行止めになっていたので久見集落にあるローソク島展望地へ。はるか遠くに目を凝らせばローソク島が見えます。そりゃ本気で見るなら遊覧船で適切な時間に行くのが良いと思います(日程上そして天候上これは叶いませんでしたが…)。ただ遊歩道自体もなかなか荒々しいところにあって面白いです。

さらに北上して隠岐の島町の北端の白島崎へ。先端までちゃんと歩いて行くのは大変ですが、展望台まではほとんど車で到達することができます。展望台からは異質なまでに白い陸地が広がっており、そのうちのいくつかは全方位が切り立った島になっていて、灯台がはるか遠くに見えます。そこまで到達するのは当然徒歩では不可能ですし艀船があったとしても大変そう。管理している人に敬意を評します。それにしてもこの地形を白島崎と呼ぶ以外には表現のしようがないですね。

そのまま布施の集落で食事をして、島を一周して戻るつもりだったのですが、目当てにしていた店が臨時休業。急いで中村の集落まで戻り、「さざえ村」に収まります。名物のさざえ丼とさざえの刺し身のセットは信じられないほどの美味しさ。大変行きにくい場所ではありますがぜひ味わってみてください。ソフトクリームも最高でした。あごだしをお土産に購入。隠岐ではトビウオの漁も行われており、中村集落に加工設備もあります。

ルートを変更して内陸を縦貫する県道中村津戸港線を通って西郷に戻ります。途中にはかぶら杉という変わった樹木もあります。隠岐の原生林も興味深いところではありますがなんせ通行止めが痛かったです(そもそも時間不足でしたし)。岩倉の乳房杉とかも今度しっかり見に来たいところ。

しばらくすると大きなダムが車窓に現れます。島後は全体的に離島とは思えない車窓風景(たとえばダイナミックな直線など)が多いですね。

島内の別の場所ですが、こんな感じ

西郷に戻り、船の時間にもあまり余裕がないですが最後の訪問として玉若酢命神社へ。こちらにも隠岐造の社殿(重要文化財)が残っています。水若酢神社に比べると少し本殿に近づいて観察するのが難しいですがこちらもとても良い雰囲気で、随神門(重要文化財)と巨木(=御神木、国指定天然記念物)も含めてコンパクトで整った宗教空間が存在しています。

敷地に隣接するように社家の億岐家の屋敷が残されており、こちらも重要文化財に指定されています。住宅の中もさらっと見学しましたが、一番見るべきものといえば隠岐駅鈴です。駅鈴というのは奈良時代の駅馬制度のなかで整備されたもので、各国にその格付に応じて2~4個の駅鈴が割り当てられました。それから1300年近く/以上が経ちほとんどの駅鈴は散逸してしまい今では存在が確認できませんが、この億岐家は隠岐国造の家系が続いているとされており、このような貴重な文化財をある意味家宝として今の時代まで受け継いでくれました。大変ありがたいことです。

 

ほかにも隠岐倉印などそう簡単には見ることができない文化財を説明付きで案内していただくことができます。全国にただひとつしか残っていない駅鈴と、数個しか残っていない倉印。写真撮影はできないのでぜひ実際に訪れて目で確かめてください。

 

西郷に戻るともう船は出港寸前。手早く駅鈴の描かれた風景印を頂いて港に走り、帰りの船に乗り込みました。短かったけれどもとても充実した1泊2日の隠岐諸島の旅。またいつか来ます(飛行機でも来れますし)。

日本史では遠流の島としての印象が強く、厳しく険しい場所という思い込みをしていましたが、決してそういうことはなく、文化の薫り高く、温かい雰囲気の島でした。

七類港に帰着。今度は松江駅ゆきのバスに乗り込みます。結構満員です(そもそも年度末だったので人の移動が多く、船の中も存在できるスペースを探すのが大変でした)。

 

夕方の松江駅一畑百貨店閉店時間間際、多くの人が出入りしています。

 

松江や出雲市のホテルが全然空いていなくて困ってしまったので、私はこのまま行けるところまで西進することとしました。

 

出雲市からは閑散線区用の気動車。とても早い時間ですが終車なので結構混んでいます。本来はひたすら海岸線沿いを走る絶景の区間。小駅の周りの僅かな街明かりがわれわれを心強くさせるものです。

 

そして終点の浜田に到着。駅員もおらず乗客が去った駅は完全に静まり返っています。この日はこの街で宿泊しました。