埴輪はどこかへ

楽しさも、憂いも、全て旅の中にある。

公共交通で巡る台湾の街並みとグルメ旅[第3編]

賑わいの創出。

 

ここまでのあらすじ(まだ読まれていない方はぜひお読みください)

第1編[桃園空港→中壢→鶯歌→三峽→板橋→台北市]

haniwatraveler.hatenablog.com

第2編[台北市内、九份、淡水]

haniwatraveler.hatenablog.com

 

台湾第3編。台北でゆっくりお買い物とかひたすらうまいものを食べ続けるとか、そういう過ごし方もありなのですが、せっかく遠くまで来たのでいろいろな街を見たい。早起きして台湾南部へ向かいます。前回の記事は多くの方に読んで頂けたようで嬉しいので、今回は俄然気合が入っています。

 

一般的な台湾南部観光は、臺灣高鐵で台南なり高雄なりまで往復するもので、おそらく日帰りの強行プランを組む方もいらっしゃるのではないかと思います。それもいいのですが、せっかくなのでちょっと違うものを、ということで、台湾中部でも少しだけ観光をしていくことにしました。

 

[22] 台北捷運 淡水信義線 民権西路→台北車站

朝早くからバスを乗り間違えたら笑えない(というか早朝で少し本数が少なそうだったので)確実なMRTを利用。駅までが遠かったんですけどね。

 

訪れたときはkkday のサイトで、外国人観光客が2枚高鐵のチケットを買うと1枚無料になるというキャンペーンを行っていたので、前日に急いで予約。パスポート番号とクレジットカード番号を差し出さないといけないのでセキュアな通信が確保されたところで行うことを推奨します。おそらくこの記事が読まれている頃にはもうbuy1 get1 は終わっているとは思いますが、外国人割(20%)も前日までkkday で購入できるのでお得に旅行ができます。

早朝出発おすすめです

インターネットで予約しても、外国人割は窓口で受け取る必要があります。高鐵の窓口はいつも混んでいるという噂だったので早めに行きましたが、早朝すぎて空いていました。乗ろうとしていた最速達タイプが満席で切符を売ってくれなくなっていたので(外国人割引が名目上普通車指定席にしか適用されないので)その2本前の各駅停車タイプに乗車しないといけなくなったので、早く着いてよかったということにしましょう。

台北車站は臺鐵と高鐵が隣り合っているのでターミナルとしてもとても便利。コンビニや駅弁屋もたくさんあり、朝から電車を待つ人でそれなりに混雑しています。

大空間がかっこいい。池袋とかにもこういうの作りませんか?

 

[23] 臺灣高鐵 805[南港→左營] 台北→台中(高鐵)

 

各駅停車タイプもほぼ満席御礼で、12両が1時間あたり5~7本でもさばききれていない活発な移動需要にびっくりしました。用地取得の問題で多くの部分で都市から離れた部分を通り、各駅も駅が先、街が後みたいなところが多いですが、在来線やBRT/MRT などの二次交通の接続がちゃんとしているのでかなり好印象。新竹や苗栗などの比較的近距離の移動もそれなりに見られました。台北から台中の約160kmを各駅停車でも64分(最速達タイプだと47分ぐらい)で結びます。高鐵がなければ今回の行程は成立しませんでした。

なぜか緩急接続せず、交互発車になっています

高鐵台中駅に到着。テナントがほとんど日本資本なのでびっくりします。在来線と台中MRTの新烏日 (Xinwuri) 駅と隣接しています。また有名観光地の日月潭に向かう観光客でかなり混雑していました。日月潭へは直行バスがたくさん出ているようです。バスターミナルには日本語が通じるボランティアの方がいらっしゃいました。

 

[24] 彰化客運 6933A系統 高鐵台中站→市場前(鹿港鎮)

車内、ちょっとレトロでよい

台湾中部で最も気になっていた都市であるところの鹿港(Lukang) に向かいます。台湾の中でお極初期から開発され、中国本土側からの上陸/開拓の基地にもなっていたところですが、土砂の堆積などの問題で近代的な港湾への発達は起こらず、日本でいうところの在郷町のような発展を遂げた街です。今回の旅行で唯一郡部にある訪問地です。

 

実はこんなに早起きする必要もなく、高鐵台中站を 9:00 に出る観光客向け直行の6936系統(台湾玻璃博物館ゆき)に乗ってもほぼ同じ時間に鹿港に到着します。でもコロナ減便が行われているかの情報が錯綜していたので、先に確実に発車する6933A を選択しました。

人生のEmergency exit なのかもしれません

地味に県境越えの系統で、台中市から彰化縣に入ります。だいたい臺鐵と並行する道を通りつつ、彰化市の街路をくねくねと通過していきます。臺鐵の彰化車站の斜向かいぐらいにあるバスターミナルにも立ち寄り。そのあと彰化縣政府の前を通り、鹿港への一本道をひたすらかっ飛ばしていきます。北関東あたりにありそうなロードサイドをひたすら進んでいくイメージ。

 

1時間ぐらい乗ってやっと鹿港の商業地域に入ると、かなり立派な面持ちの建物が多いことに驚きます。古蹟区に入る前からかなり老街としての完成度が高いです。

とりあえずバスを降りて、古蹟区へ。鹿港市場の前を通ったのですが、東南アジア的な混雑がMAXになっていてボルテージが上がります。昼から屋台や商店の端をものすごい人の数とオートバイの数で通り抜けていくので圧倒されました。台北よりもより地元密着な感じの商店が多く、野菜や果物などもそのまま売っている感じです(買っても食べられないので買いませんでした)。

トップの写真です

脇道から古蹟区へ。壁面も煉瓦、路面も煉瓦でかなり味がある通りです。割と観光地化された印象があり、テナントも少し観光地っぽい(というかそこまで数が多くありません)。先程の市場のところではどうなることかと思いましたが、適度な人通りでとても好印象。連続性も申し分ありません。たまに屈曲しているところもいいですね。

奥に進むと勅建天后宮という建物があったのでとりあえず参拝。そこから一筋ずらすと表の通りに出て、大変な人通りに圧倒されます。

朝ごはんがあまりにも早かったので適当にと思って阿煜師肉包で肉包(20NTD) 。要するに肉まんなんですが、某大阪の有名店と肩を並べるぐらい美味しかったです。大きさはコンビニの肉まんぐらいですが、ジューシーさが段違いで、生地のパサつきも一切ありません。ちなみに彰化縣は肉まんの名店がたくさんあるらしいです。食べ比べも面白そう。

そして今も昔も鹿港の発展の中心であるところの鹿港天后宮。何らかのお祭りが行われていて着飾った人が練り歩いているなどしてカオスそのもの。境内も活気がありますが、日本の寺院と違って静寂さはないし、割と座って休憩しているだけの人とかもいるのが、生活への溶け込みという点ではかなり面白い(これは台北でもそうですが、さらに顕著な気がします)。

バスの時間は近づいていたのですが、肉まんが美味しかったのでもう一つぐらいなにかつまんでいこうと思い、素珠芋丸で芋丸(30NTD)。写真が適当ですみません(どうすればいいんだか)。鬼まんじゅうみたいなものを想像していたら、しょうが味がする上に中から肉まんの種が出てきて、しかも中華風のあんかけがかかっていてびっくりしました(どうも里芋団子に肉を詰めたものらしい)。ここ以外で結局この食べ物を見かけることはなかった気がします。一期一会。

 

[25] 予定: 員林客運 6系統 員林客運員林BTゆき

  実際: 彰化客運 6933系統 市場前(鹿港鎮)→彰化

 

もともとは員林客運が臺鐵員林站の近くのバスターミナルに向けて走らせている快速公車を利用するつもり(途中バイパス経由で停留所が数箇所しかない)でしたが、待っていても一向に来ないし、バス停の時刻表が不自然に剥がされていたので、同行者に公式サイトをあたっていただいたところ、どうもコロナで朝夕のみの運行になっているらしいとわかりました。まさかの台湾でコロナ減便に遭遇です。Google の乗換案内に出てきても実際には走っていないものもあるので十分注意して行程を組みましょう。

待てどもバスは来ずの図

このときは偶然同発予定の彰化ゆき(先程の逆順のバス)が遅れてきたので乗りました。ただそのあとの行程におよそ1時間の遅れが生じて、昼飯が飛んでしまいました。とりあえず鹿港で立往生は避けられました(臺鐵沿いまで戻ればなんとかなる)。

 

[26] 臺鐵 2153次區間車[基隆→嘉義] 彰化→斗六

臺鐵彰化站

本当は彰化にせっかく降ろされたらなんらかご飯を食べたり扇形車庫を見るべきだったりするだろうとは思うのですが、別の町も少し覗いてみたいというのと、3月というのに真っ昼間は暑すぎて耐えられないという理由で區間車に乗り込みました。員林からは車内もだいぶ空いて快適な旅。さながら青春18切符気分です。

濁水溪

斗六は雲林縣の政府が置かれる街で、それなりの規模です。20分弱でしたが、駅から出てすぐのところに太平老街があるので一走りして撮影。ここもバロック風の意匠のある街並みと聞いていましたがそんなことよりもカラフルな提灯が映えますね。かなりフォトジェニックだと思う。もう少しゆっくりして何か食べたかったですね。

とても長い

[27] 臺鐵 117次自強號[基隆→潮州] 斗六→臺南

自強號にやっと腰を落ち着けます。真っ昼間ですし、この区間は需要の高い部分から離れたところなので無座でも大丈夫だろうと思ってICカードで自強號に乗車しました(実際に途中で席を変わらないといけなくなる羽目には合いませんでした)。ICカードで自強號に乗ると、70kmまでは區間車の運賃で、そこから越えた分は割引なしの二段加算運賃が徴収されます。座席指定券とは大きな値段の差が生じます。例えば斗六→臺南は92kmぐらいですが、紙の乗車券で指定をつけると210 NTDに対して、ICカードだと143NTD。麺線一杯分ぐらい浮きますね。(この列車は最後尾が家族車両になっていました。そういうのは気をつけましょう。またタロコ号やプユマ号では無座乗車は罰金ですので注意)

1時間と少しで、臺南站に到着。国鉄時代の日本の駅の様子のことはよくわかりませんが、きっとこんな感じだったんだろうなあという風情があります。

そして駅を出てみると、全然バスのりばの位置がわかりません。とりあえず安平に行こうと思ったのですが、どうも駅を背にして左側の乗り場から出るものと右側の乗り場から出るものがあるらしい。タイミングを間違えたので、ロータリーを一周しても目的のバスに適切な時間に出会えず。仕方ないので10分ほど歩いて、臺南站後站のほうから来るバスを別の通り(新光三越の横を入っていた方)で捕まえようとしたのですが、バスの本数が少ないのに全然定時に来ないのでストレスフル。台北のあたりでもバスは全く定時ではないのですが、本数が多かったので来たのに乗ればよかったのですが、別の都市圏だとそうも行きません。

待てどもバスは来ずの図2

[28] 府城客運 77系統 民族路西華南街口→原住民文化会館

 

1時間に1本ぐらいしかないので遅れても待つしかないですね。安平への裏ルートで、安平老街の川湊を挟んで反対側の地区までを割とスピーディーに結ぶバスです。めちゃくちゃ信号に引っかかったのでどんどん遅延しました。

バスを降りた瞬間に暑くてやっていられなくなったので、川沿いにあった瓦地加芋円で刨冰3號(50NTD)をいただきました。かき氷の上にタロイモ団子やもちもちした物体、煮豆、仙草ゼリーが乗っていて、優しい甘さで美味しい。このカラフルなもちもち、何が材料かはわからないが個人的にはタピオカよりも好きです。

安平はゼーランディア城などもあって確かに(外来人による)台湾最古の街ではあるのですが、あまりその面影は老街などからは感じられず、古城の中にも展望台が立っているなど完全な観光地の趣があります。

安平古堡はカットして、英商德記洋行と安平樹屋に入場(50NTD)。そういえば故宮博物院に行かなかったのもあって台湾で初めて入場料を支払ったかもしれません。

安平樹屋はカンボジアのタ・プロームのような感じで、古い建物に木がまとわりついて成長しているというタイプの遺跡(?)ですが、さすがに台湾なので補強の鉄骨がたくさん入っていて、自然体に写真を撮るのがとても難しい。德記洋行の中は軽く資料館になっていて、日本語の解説もあった気がします。安平と台南がどれほど歴史があるかということについて熱弁をふるってあります。

 

バスが遅延していて乗れそうだったので猛ダッシュ

 

[29] 府城客運 2系統 港仔里→協進國小(民生路)

裏路地を歩いて神農街へ。途中ではステージが行われていました(何らかの祝日だったのかどこに行っても3割ぐらいの店が閉まっていた印象)。神農街は台南のおしゃれストリート。なぜか東北の日本酒を推してる店が複数ありました。結構南台湾まで行っても日本のものを取り扱う店が多いですね。

そのまま東進して水仙宮市場へ。全然店が開いていなくて逆に怖い。台湾でなければ治安的に歩かない方が吉とされそうですが、台湾なので安心して歩いています。

國華街三段や西門路二段でウィンドウショッピングならぬウィンドウイーティングをして(ここで素直に食事をすべきだったかもしれません)、ロータリーを抜けて、劉家粽子 西門店へ。台南では有名なちまき屋で、少し値段は張りますが巨大(特製肉粽 60NTD)。ちまきに甘いタレをかけるのでぼんやりした味になりかねないと思うのですが、添えられたパクチーも相まってなかなかありという感じになります。具材もたっぷりはいっていて美味しい。これでなんとか夜まで保ちました。

そのまま歩いて赤崁樓へ(50 NTD)。建物の半分以上が改修中でした。高温多湿なので木造部分があると維持管理が大変そうですね。展示はほとんど中国語でした。2023年度は正面側も工事対象になるようなので訪問の際はご注意ください。

台南はバスの使い勝手が微妙なので、かなりの距離歩いてクタクタに。艾摩多手工杏仁豆腐で休憩。(65NTD) 台湾の「甘さ」というのは得てして強烈なのですが、ここは杏仁の素朴な風味を大切にしているのが伝わってきます。メニューは日本語対応。

臺南祀典大天后宮に寄りつつ、林百貨店へ。日本統治時代に営業していた「ハヤシ百貨店」を現地資本で再開発したセレクトショップ。やや高めですが間違いのなさそうなものが置いてあります。ちょうどWiFiの電池が切れていて、何を買うべきか逡巡してしまいました(できれば南台湾のものが嬉しいみたいな気持ちはありましたが)。百貨店自体のグッズもいくつもあります。

そのまま台南孔子廟に進んだところ入場時間外で入れず。電車の時間も迫ってきていたのでロータリーを通って臺南駅に戻ります。近くには有名フルーツパーラーの莉莉水果店などもあるそうですね。

[30] 臺鐵 175次自強號[花蓮→潮州] 臺南→高雄

 

ICカード無座でしたが、端っこの方の車両を選ぶとだいぶ空いていて座れました。よかった。45kmぐらいなので區間車の料金で快適かつスピーディーに移動です。

 

高雄から宿まで歩いて荷物を置き、少しお腹が空いていたので六合夜市に繰り出しましたが、今回はあまりにも長い(もう6000字!) ので一回ここで記事は打止にしましょう。次回の記事、すなわち高雄編で台湾編はおしまい。

今回の記事が少しでも面白かったと思ったらスターを押して頂けると筆者が喜びますので、ぜひ。

公共交通で巡る台湾の街並みとグルメ旅[第2編]

本質的な繁栄とは。

 

前回記事のあらすじ

公共交通で巡る台湾の街並みとグルメ旅[第1編]

桃園空港から、中壢、桃園、鶯歌、三峽、板橋を経由して台北市内まで進み、宿泊しました。(ぜひ合わせてお読みください)

haniwatraveler.hatenablog.com

本編

おはようございます。台北市内からスタート。

台湾は朝ご飯を外食する文化が根付いているそうで、早朝から多くの店が営業しています。代表的なメニューとしては、漢堡(ハンバーガー)、三明治(サンドウィッチ)、蒸包、蛋餅などがあげられます。

さすがにシェアしました

今回は宿の近くだったので圓山老崔蒸包の小さい肉まん(10個で90NTD)、早點回家の蛋餅(45NTD) をテイクアウト。朝食料理店はバーガー系や蛋餅のお店は作り置きをしないので提供まで割と時間がかかる傾向にあります。おそらく出来立てアツアツであることに価値が見出されているのでしょう。もっちりして自然な甘さで美味しいです。圓山老崔蒸包は小籠包ではなくて小さい肉まん。目の前で凄まじい勢いと手際で包まれる肉まんは皮がふかふか、タネはジューシーです。

 

[10]内湖幹線 大同小路(晴光市場)→二二八和平公園

 

幹線系統は均一運賃なのか降りるタイミングと別のタイミングでタッチしている人が多数。他の乗客や運転手に中国語でカードの取り扱いについていろいろ言われましたが全く理解できず。どうすればよかったのか。

 

平日の午前中は総統府の一般公開が行われており、パスポートの提示と手荷物検査を経て総統府の一階にある博物館、郵便局、グッズショップが利用できます。パスポートを預けるとちゃんと日本語の音声ガイドがついており感動。いっぱしの日本国内の博物館のものより流暢で内容の濃い案内が聴けます。

どこまで写真撮影可だったのかよくわからないので、ここではこの写真で失礼。

ちなみに入口がわからなくて一周してしまいましたが、北西の隅にあります(他の場所から入ろうとすると確実に御用になるはずです)。

 

[10a] 徒歩 総統府→中正紀念堂

 

少し距離がありますが雰囲気も良いので歩くことに。総統府の表側は官庁街。迎賓館や台北府城の東門があります(おしゃれ地区の東門とは結構離れていて、今回はそちらまで進めず)。

中正紀念堂の前の自由広場は真に日本にはない空間づくり。強い日差しが刺さりますが、その壮大さにシャッターが止まりません。

 

そうこうしているとちょうど衛兵交代式の時間になりました。銃剣を床に突き立てる音が大空間にこだまします。

[11] 系統不明 捷運中正紀念堂站(愛國)→博愛路

さっき歩いた距離ですが暑いし安いのでバスに乗りました。

いい絵面!(自画自賛

昼食は1日目夜に引き続き西門で。梁山泊小籠湯包で小籠包7個と酸辣湯のセット(120TWD)。地元の方は蒸包系料理には酸辣湯を合わせるのが定番のようですが、やっぱり酸辣湯はクセがあるので、苦手な方は豆漿セット(105TWD)が良いでしょう。

 

小籠包は皿にぎっちりと並べられており、某有名店のものよりも大きく肉汁もたっぷり。これでかなり満腹になりました。

[12]臺北客運 965系統 中華路北段→九份老街

バスレーン側ではなく道端で待とう

超有名観光地の九份に向かう高速道路経由の路線バス。海外からの観光客も多いので、三峽から板橋のバスとは違い割と観光バス仕様のもので来ました。座席定員制でかなりカツカツ。凄まじく遅延してきたうえ捷運北門站では積み残しを起こしていました。乗れなかった場合は、一般道部分(瑞芳火車站から先)は立ち席もOKかつ一般路線バスもあるので瑞芳まで臺鐵で先回りするのが吉でしょう。

運転手はシートベルト着用の案内や九份の到着案内を7、8ヶ国語肉声で行っていました。カセットテープを入れないあたりが意地ですね。

北門站を過ぎるとすぐに都市高速のようなものに入ります。その後ちょこまか動いて台湾の大動脈国道1号線へ。快調に飛ばしたのち瑞芳火車站からは延々と坂を登って九份に到着です。

 

九份は日本人がよく訪れるため多くの商店が日本語の看板を用意していました。勾配があり狭く見通しが悪い上に(平日昼なのに)あまりにも大量の観光客が投入されていて真っ直ぐ進める雰囲気ではありませんし、食べながら歩けるほど生易しい人流でもありません。そのままいても何もできない(し物価が相対的に高い)ので有名な階段を登り下りしてさっさとバス停に戻りました。

混雑したところで満足いくように事を運ぶのは困難です

[13]基隆客運 1062系統 九彬老街→松山車站(八德)

九份のバス停ではまた積み残しそうな量の乗客が待っておりヒヤヒヤしましたが、1062系統は相対的に不人気。乗っていた客も半分ぐらいが瑞芳火車站で降りてしまいました。先程の965が急行だとすると1062は準急のような扱いで、より遅いタイミング(暖暖あたり)で高速道路に乗り、より早いタイミングで高速道路を降りて、松山から乗降が可能になります。田舎のロードサイドの車窓もそれなりに面白かった。

 

[14]台北捷運山新店線 松山→中山

[15]台北捷運 淡水信義線 中山→關渡

案内板が日本そっくりですよね



地下鉄は定刻に来ることとそれなりに速いことだけが取り柄で、バスよりも高額で景色も見えないので台北の観光ではもったいないなと思った次第です。ただ淡水信義線の民権西路より北側では高架区間ですしその部分はバスで移動するにはあまりにも距離が長いのでMRTでいいとは思いますが。末端に向かっても全然乗客が減らず、ひたすらすし詰めのまま移動です。

 

[16]淡水客運 紅13or紅22 慈濟志業中心→捷運關渡站→渡船頭[八里] 

捷運關渡站を出るとバスに大行列ができていたので、Google上でバスの始発地と表示されていた慈濟志業中心のバス停に向かいましたが、全然目的の時刻表がバス停に書いてありませんでしたし、Googleに表示されるルートだと車線を逆走することになってしまいます。しかも路の反対側にあるバス停は別の名前です。困惑しましたがとりあえず求めていた系統番号のものが来たので乗ってみると、捷運關渡站を経由した時点でほとんどの乗客は入れ替わりましたが、一応そのまま八里に向かうことができました。捷運關渡站の前は狭くて折り返しできないので終点付近がラケット型になっているということだと思います。

 

關渡大橋を渡って八里へ。少し露店が出ている感じでしたが、オフシーズンなのかそこまで活気があるわけではありませんでした(普通に生活している人が多そうな感じ)。

 

[17]順風航業 Blue Highway 八里渡船碼頭→淡水渡船碼頭

海外で公共交通としての船に乗ったのは初めてなので興奮。架橋できないほどに広がった大河の河口部を横断する渡船で、事前の情報では正確な時刻表はなく15分おきとありましたが、実際にはもう少し頻度は低そうです。屋根はありますが窓もなく開け放たれたフェリーには、川面を滑る涼しい風が吹き抜けていきます。料金は34 NTD 、切符もICカードも同額です(ICカードリーダーは乗る直前にあります)。

こちらです

河口部ということもありかなり土砂の堆積が進んでいて多くの船が座礁した状態で放置されています。それほど大きくない船と、対岸の淡水の大都会のギャップが面白いです。ちょうど夕暮れの航海で、地元の方もスマホで写真を撮っていたりしました。

淡水に到着。風が強く寒くなってきて小腹が空いたので、なにか暖かくて甘いものと思って、円円古早味蛋糕で台湾カステラを買ったら超巨大でびっくりしました。90 NTD と相対的に安くないのでどうしてだろうと思ったら食パン1斤級の大きさがあります。でもとてもふわふわで軽いので半分ぐらいは一気に食べられてしまいます。飲み物もいらないぐらいしっとりしていて感動。

陸上から

箱みっちり入るとは

[18]淡水客運 紅26系統 小白宮(淡水分局)→淡水漁市

新しくできた淡海LRTに乗り継ぐためにフィッシャーマンズ・ワーフに向かいます。横浜沿岸部のような賑わいはなくひっそりしています。日本の地方都市にもありそうな空間。Lover’s Bridge など、世界のどこでも人間の考えることは同じだなあと思ってしまいます。

[19]淡海LRT 淡水漁人碼頭→紅樹林

近未来的なスカイブルーの路面電車に乗車。共用軌道区間では台湾とは思えないほどにのっそりと走ります(ブレーキだけはとても激しい)。専用軌道区間に入ると突然本気を出して、結構緩急のついた走りで面白い。高架軌道の部分は地面からすごい高いところを走っているところもありました。逆向きは混んでいたので、通勤の足としての地位は確立できているようです。

[20]台北捷運 淡水信義線 紅樹林→士林

士林夜市の最寄り駅が捷運劍潭站であることは割と知られている事実らしい(ではなぜ士林駅だけに日本語アナウンスを入れるのだろうか)ですが、北から来たのでまあ士林駅で下車。しばらくすると大南路まで出ましたが、凄まじい人波でまっすぐ進むことができませんし、あまりにも外国人観光客ばかりで地元密着感がないと感じました。出店もGoogleでみてもそこまで評価が高くないものが多く、一見さん向けの店が多いと判断し、フードコートがある方まで進まずに士林駅の方に引き返しました。

人を少なく写そうとしてもこれ

脇道ぐらいがちょうどいい

士林夜市から北に歩いて10分ぐらい、歩道の脇に少しだけ露店が出ているところの奥に薄暗い商店街が伸びています。そこをくぐり抜けると煌々と光り輝く半屋台の店先で、家族が忙しそうに鍋を振っています。

ちょっとこわい

ここにあるかという場所にあった光輝肉羹。肉羹米粉 (60NTD)は、八宝菜を固めの春雨のうえにかけたような料理。香辛料で驚き続けていた胃腸に優しい、日本人でも馴染みやすい料理だと思います。

 

[21]三重客運 606系統 士林→(宿の付近)

MRTの駅から宿は遠いので適当にバスに乗るなど。やはりバスはルートさえ把握できていれば歩く距離も減るしとてもありがたいものです。

翌朝は早いとわかっていたので適当にコンビニでおにぎりやパンを買ってさっさと寝てしまいました。人混みって疲れますね。でもいろいろ見返してみると実はこれもおいしそうだったかも!みたいなのが見つかるものです。絶対もう一回行きます。

前回記事(意外と読まれていない)、今回の記事ともにお手すきでしたらスターをいただけると筆者が泣いて喜びます。

公共交通で巡る台湾の街並みとグルメ旅[第1編]

全てに対して、新鮮な驚きを持って生きていきたい。

 

江差から糸満まで、ここ3年間ずっと国内をうねうねしてきた当ブログの筆者ですが、そろそろコロナも落ち着いてきて、何よりも日本入国時の厄介な取り扱いがいろいろなくなったところで、海外に行きたいなあという気持ちが盛り上がっておりました。札幌も石垣島も行ってないのにというツッコミは大歓迎ですが、長い休暇を取るのも徐々に難しくなってくるのかなと思い、一念発起、フライトを確保。海外旅行の手始めとして、治安もよくほぼ日本と同じような感覚で旅することができると評判の台湾に行ってみましたので、その報告を。おそらく全4~5回の記事になろうかと思います。今回は国外なのでやや記述細かめにしておくことで、日本語のレビューが少ない部分で後々検索にかかったときにお役に立てればという気持ちもあります。情報はすべて2023/3 現在のものです。

[1]TR875 SCOOT 台北経由シンガポールゆき 成田国際空港→桃園国際空港

成田空港からおはようございます。TR875(8:15発)はおそらく都内からの始発でギリギリ間に合う最初の便ではないでしょうか。羽田からのpeachなどが前泊必至の早朝に出ているのと比較するとかなりマイルドな幕開けです。

 

経由便だったことを知らなかったので表示板でシンガポールゆきと書いてあったのでひっくり返りかけましたがちゃんと定刻に台北に着きました。富士山が綺麗だった。ちなみに機内には日本人がほとんどいませんでした。成田発なのにどういうことなんだろう。ちなみに直後に成田→シンガポールの直行便もあるので、通しで乗る人の需要もよくわかりません。

 

桃園国際空港でiVideoのWi-Fiをレンタルしました。2日前の昼までに予約しておくと出口と同じフロアの6番カウンターですぐに受け取れます(日本からクレカ決済)。日本で借りるよりもはるかに安いです(5日で2000円を切っていました)が、ちょっとバッテリーが弱くて一日の最後まで持たないがちであったため、そこは注意が必要だと思います。おそらく一番お手軽な選択肢はeSIMなのですが、私のスマホが古かったので使えませんでした。

直接台北市内に向かうわけではないので、多少のレートの悪さは目を瞑って空港で両替しました。

最近桃園捷運機場線ができてすごく便利になった桃園空港。駅の券売機で悠遊卡を購入。500TWDのうち100TWDがカード代として返金不能な形で徴収されます。デザインは機場線の路線図付きの限定バージョン。

 

[2]桃園捷運機場線 Commuter 桃園機場第一航廈→環北

今回はLCCで行き帰りなので荷物を最小限にしており、スーツケースもなし。スーツケースなしで台湾に行く機会が二度とあるかわからないので、荷物がコンパクトなりの旅程を目指していきます。

多くの観光客が台北市内ゆきを待つなか逆向きの中壢方面に乗車。中壢方面と書いてあるのに厳密には臺鐵中壢駅の2つ手前の環北までしか完成していないのでとりあえずそこまで。車内にひたすら警備員がいてよくわからなかったので車窓は撮っていませんが、結構荒野が多め。他の幹線道路と交わるところではそれなりに街になります。楽天の球場とかもありました。

 

[3]桃園客運 171系統 捷運環北站→中央新生路口

Google で見ると漢字表記と英語表記が入り混じっているのですが、英語で書いてある方が逆に発音がわかるかもしれないのでわかりやすいのかもしれません。中壢のバスターミナルの2つ手前ぐらいで下車。中壢の街はかなり栄えており、日本では殆どなくなってしまったSOGOなどが鎮座しています。

ただ観光地ではないので、昼食をどうするかは完全にGoogle 頼み。適当に評価が良い店があったので駅まで行かず途中で降りて食べてみました。

電器行麺店の魯肉飯(40NTD)

麺店なので麺を食べるべきかもしれないのですが、とりあえず一食目だしいつ夜ご飯にありつけるかわからなかったので腹持ちのする魯肉飯を選択。地元の方しか来ないような食堂ですが、台湾のご飯のコスパのよさを我々に知らしめるには十分なインパクトがありました。

中央新生路口あたりの風景

 

莒光号

[4]臺鐵 510次 莒光号(新左營から七堵ゆき)中壢→桃園

区間だけですが、数を減らしている客車急行の莒光号に偶然乗車できました。車内は年季が入ってはいますが清潔で、走行音も静かでとても快適。桃園で降りたくなくなってしまったぐらいです。

後ろは適当

桃園站は大工事中で、新しい橋上駅舎ができて、古い線路やプラットフォームが撤去されかけていました。降りるとすぐに新光三越があって栄えた印象。街の中心にある景福宮まで進みました。

何気ない横道が好き。

なんせ時間がなかったので、途中で冬瓜茶をテイクアウトして駅までダッシュ。冬瓜茶は黒糖の主張が強くて美味しかったです。亞伯冬瓜茶、カップになみなみMサイズで35NTD。

[5]臺鐵 1202次 区間車(北湖から基隆ゆき) 桃園→鶯歌

区間車も冷房が効いて快適。ゆったりと走って8分で鶯歌へ。そんなに大きくない橋上駅舎に、日本と同じセンスを感じます。

鶯歌は陶器の町。LCCで来ているので焼物は荷物の個数と重さの問題で到底購入できないので商品はあまり見ていませんが、アウトレット店みたいな店先に並べられた商品の一部には美濃焼とか常滑焼とか書いてありました。日本でも割とそういうことありますよね。おしゃれな雰囲気の陶器店もいくつもあります。そういえばおしゃれなカフェもあるらしいですね。

 

[6]桃園客運 5005系統 國慶街[鶯歌]→復興路[三峽]

國慶街付近の風景

鶯歌から大漢渓の対岸にある三峽に移動。鉄道が開通する予定はある街ですが現状存在しないので、様々な方面に行くバスが表通りをものすごい勢いで駆けていきます。

 

大通りから老街方面に進むと、まず賑わう商店街を進むことになります。店内でマイクを使って巧みな話術で服を売りさばく若い男性や、半分屋台みたいなところで麺類や惣菜を売る人々、宮の前でタバコを吸いながらたむろする人々を尻目に進んでいくと、突然とんでもないものが目に飛び込んできます。

細い道の両側に、煉瓦造りのアーケードとゴシック様式の家屋がひたすら立ち並んでいます。日本の重伝建でもなかなかないような連続性を保って奥の方へ奥の方へと続いています。多くが歩道を取り込んだ2階建ての建築ですが、一部3階建てのものも混在し、またその表面には日本統治時代の屋号と思しきものが刻まれています。現在行われている商売とはほとんど連関していないものが多いです。

平屋部分もあります

 

人通りは決して多いわけではありませんが(台湾って活気のあるショッピングストリートが多いので相対的に、という議論ですが)、お土産屋なども立ち並んでいます。ここはすごい。台北からもそこまで遠くないのでぜひ少し時間が空いたときや少し郊外も見たくなった時などはお越しください。

 

老街の一番奥にあるのが勇伯豆花。メニューに値段が書いていなかったのに調子に乗って全部乗せ(綜合豆花)を頼みましたが、なんとわずかに45NTD。全部黒蜜に水没していて何が乗っているか写真ではわからないと思いますが、もちもちした球体や甘く煮た柔らかい豆などが載っており、豆花自体はかなり大豆の風味を感じる素朴な味。初スイーツからしっかりアタリを引きました。

[7]臺北客運 910系統 三峽老街(復興路)[三峽]→捷運府中站[板橋]

眺めOK

この910系統がとても面白い。もともとはMRT頂埔駅にバスで抜けるつもりだったのですが、目の前をものすごい本数板橋ゆきのバスが出たり入ったりしているのでもしかしたらこちらのがスムーズに着くのではないかと思って選択。

 

国立臺北大学を過ぎると、クロスシート主体でありながらも一応路線バスの車体で台湾の大動脈3号線(フォルモサ高速公路)に入り、周りの車と遜色なく80km/hぐらい出してビュンビュン飛ばします。インターを降りる渋滞に巻かれたかと思うと、その先も都市高速のような道。緩急のついた走りであっという間にMRT府中駅まで先回り。気持ちよすぎる。三鶯線というMRT計画があるらしいですが、もしそれができるとこの系統がなくなってしまうと考えると寂しいものです。

府中駅の周りには板橋慈恵宮や林本源園邸があり、周りを少し懐かしめの商店が囲みます。ただ林本源園邸は改修中かつ営業時間外だったので今回はスキップ。

 

[7a]徒歩 府中→板橋

東京で府中から板橋まで歩いたら翌日足がバキバキになりますが、新北市でなら十数分で着きます。板橋が凄まじい都会でびっくりしました。The 副都心といった感じで通勤の目的地にもなっていそうです。

稠密な市街地

板橋には主に台北市の郊外側にぐるっと広がる地域を管轄する新北市の政府があります。政府庁舎の高層階には無料の展望フロアが存在します。エレベータの位置がわかりにくいということと、目の前にでかいビルがあるという2点を除けば一切瑕疵のない展望台です。

そろそろお腹も空いてきたので台北市内へ。

 

[8]おそらく臺北客運234系統 新北市政府(中山路)→捷運龍山寺

この区間は市境越えではありますが、割と様々な系統が重なって本数があります。しかし帰宅ラッシュと重なってかなり大変なことになっていました。

台北市で有名な観光スポットであるところの龍山寺。夜でも観光客の姿は多く(近くに観光夜市もある)、きらびやかに輝いています。

人混みに疲れたのですぐに離脱して人の少ない方へ。剝皮寮歷史街區まで来ると人通りは減ります。かなりスクラップアンドビルドが進んでいる台北市内でここまでバロック風建築が残っている一角はかなり貴重です。ここは夜になると通路のみ開放になります。

 

[8a] 徒歩 龍山寺→西門

適当に1回目の夜ご飯を、と思って阿宗麺線に向かいましたがとんでもない人だかり。ただ凄まじい回転の良さで一瞬でありつけました。小(60NTD)にしましたがなかなかのボリューム。かなりたくさんの豚モツとやわらかな麺が、ざらっとした舌触りを感じるほど大量に鰹節を投入して深みを出したスープとマッチして大変美味しかったです。

 

[9] バスなど 西門→宿の方角

西門のあたりはバスレーンが整備されていて、バス停にたどり着くまでに少し時間がかかりますが、その分案内板とかはしっかりしているのですが、まさかの乗り違えをしてしまいました。西門から台北車站の緯度を越えて北上する系統はいろいろな筋に入るものがあるので十分注意しましょう(ちゃんと番号を見れば間違えないはずです)。

 

バスの乗り間違えでヘロヘロになりながら宿に到着。

宿の近くには夜市が立っていて、こぢんまりとしながらもかなり繁盛していて(食べる机を探すのに少し難儀しそうなぐらい)、蔡家傳當歸豬腳の豬腳飯(100NTD) をテイクアウトしてみました。

少し今までのものよりも値は張りますが、とろっとほぐれる肉は素晴らしい。付け合わせの明日葉やうずらも嬉しい。その隣の牛肉麵もかなり繁盛していましたね。

 

満腹になったので1日目はここまで。2日目の台北周辺観光に続きます。

ぜひ興味を持って頂けた方はスターを押してくださると筆者が喜びますので、お時間ありましたらよろしくお願いいたします。

公共交通で巡る五島のしまたび[後編]

残すだけではなくて、保つということ。

 

おはようございます。路線バスと船で巡る五島の旅の後編(2日目)です。前編に比べるとだいぶ軽い記事なので、ぜひ前編も合わせて御覧ください。

 

昨晩福江に戻ってきたのが20時過ぎで、完全に朝ごはんを調達しそびれていました。福江にはほっともっとやコンビニもあるのでそこで朝に購入するというのもできはしますが、それだとなんだか味気ないので朝から営業している福江港の脇の中華料理店で味噌ちゃんぽんをすすります。ちゃんぽんが味噌味というのは初めて食べましたが意外といけますね。船のチケットはどの会社のものも割と直前にならないと発売してくれません。

そこまで天気がいいわけでもなかったので、次の目的地でレンタサイクルではなくバスを使うことにして船の時間を繰り下げ、福江の街を一周します。

 

まず遠くに若草山っぽい色をした鬼岳がひょっこりとその曲線的な姿を現しているのが特徴的。

武家屋敷通りの連続的な石塀も割と他には見られないもので、石垣の上にかまぼこ型に丸石を積み上げているものです。万が一の侵入者があったときにはおそらくその石が崩れて音を出す、現代風に言えば庭の防犯砂利のようなものでしょうか。

福江は佐渡の両津や隠岐の西郷に比べても栄えているように感じました(徒歩圏内にチェーンのスーパーやドラッグストアがちゃんと集積しているということだけかもしれませんが)。離島を公共交通で旅行をするうえではコンパクトな市街地は頼もしいものです(気をつけないとひもじくなることも十分あるため)。

福江での散歩を終えて港へ。

 

[11]五島旅客船 奈留島港ゆき 福江港奈留島

 

高速船タイプの船で出航。フェリーオーシャンと高速船ニューたいようが福江港から奈留島港(奈留島)や土井ノ浦港(若松島)、郷の首港(中通島)を結んでいますが、便によって寄港地や終着地が異なるので十分注意が必要です。そういえば中通島から若松島に渡るバスがデマンド化されてしまったので、この航路が唯一若松島に公共交通でたどり着く手段になっています。

 

この便は途中の奈留島港止まり、数十人が乗っていて割と乗車率高め。奈留島港入港の少し前に目を凝らすと、車道が通じていない離島の中の陸の孤島、五輪集落の姿を垣間見ることができます。カメラを必死に向けましたが、少なくとも肉眼では新五輪教会堂がかろうじて視認できる程度でした。五輪集落は久賀島に位置していますが、福江島から久賀島に渡るフェリーから接続する島内の公共交通は観光客が利用できるダイヤではなく、徒歩にも現実的な距離ではないため、運転したくないとなればこのように遠くから仰ぎ見るしかありません。むしろ田ノ浦港からより奈留島港からのほうが近そう。

左端の赤い建物がおそらく新五輪教会堂

奈留島港は太古の新造に合わせて市街地から離れた場所に新しく整備されました。ターミナルには売店と喫茶が一応ありますが、そのまま放っておくと昼ごはんを食べそびれてしまいます。しかし救世主があり、ターミナルにある観光案内所に集落の中心部にあるみかんや食堂の出前メニューが備え付けてあり、お願いすると時間に合わせて出前をとることができます。バスまで少し時間があったので先に予約しておきました。

 

バス停がかわいい。島内のバス停の統一規格のようです。

[12]奈留島バス 大串線 皺ノ浦ゆき ターミナル→江上

 

念願の江上天主堂へハイエースでアクセス。港から江上天主堂までは8km近くあるため自転車だとそれなりに疲れるはずです。ちなみにバスは片道¥350でした(2023/2現在)。地元の方の利用もちゃんとあります。

 

奈留島の市街地は割と稠密で栄えていました。また深く切れ込んでいる湾沿いにもそれなりの数の家屋が立ち並んでいます。立派なトンネルをくぐって久賀島側に出ると世界遺産江上集落です。トンネルをせっかく作ったのにすぐに小学校が廃校になってしまったと運転手の方が嘆いていました。

バスが皺ノ浦に向かい、いくばくか待機して、そして戻ってくるまで20分と少し。これが私の江上での持ち時間です。これに合わせてちゃんと教会堂内部の拝観予約もしてありました(前回の記事で触れていませんでしたが、世界遺産の構成遺産になっている教会堂の多くで、教会堂の内部の拝観は事前にWeb上でフォームを書いて提出する予約制になっており、現役の教会堂では写真撮影が禁止されています。詳しくは公式サイトをご確認ください)。

江上教会は木造。この2日間で、木造、石造、煉瓦造と巡ってきました。鉄筋コンクリート造はまあよしとして一周したという感じがあります。ちなみに前編で述べたか忘れましたが、この旅行の動機は2年ほど前に、長崎市外海の出津教会堂と出津救助院を訪れて、その空間づくりに甚く感動したことなので、実は内部空間に一番フォーカスしたいところです(が写真撮影禁止なのでここで論点を共有できないのが残念)。なんだか山陰のわりかしジメジメしたところなのでよく木造の建物が持ちこたえられているなと感心したところ。やはり腐食対策として、教会堂内部の柱はベンガラを塗ってからその上に(赤色のままだと教会の内装としては適さないので)木目を手書きしたとのこと。信徒の教会に対する思いの強さが伺えます。

現在は江上集落もほぼ現住の家屋がなくなってしまったので奈留教会の管理下に置かれているとのこと。五島はもともとかなり環境の厳しいところにも集落が存在していたゆえに、急速な過疎化による縮退、極端な場合では無人島化などがところどころで発生しているのが考えさせられるポイントです。

林の中に凛として建つ姿を拝んで帰りのバスに乗り込みます。

[13]奈留島バス 大串線 ターミナルゆき 江上→ターミナル

長崎ゆきの船に接続している便だからかそれなりに乗客がいらっしゃいました。ターミナルに着くとあたたかい皿うどんが届いていました(その場で現金精算です)。美味しくて感動。ところでソースをかける文化があるんですね。店内でも出前でも、奈留島を訪れたらぜひいただきましょう。売店にあった鯛味噌も美味でした。一部の情報では船の運賃が現金払いとあった気がしますが、九州商船はクレジットカードが利用可能です(五島旅客船はNG)。

 

[14]九州商船 フェリー椿 長崎港[奈留島、奈良尾経由] ゆき 奈留島港→長崎港

タラップがかなり手作業だった

奈留島から直行で長崎市へ向かえるとても便利なダイヤ。3時間30分ぐらい寝ていると長崎市街地の至近まで連れて行ってくれるのはとてもありがたい。福江→奈留島の利用者もかなりの数。逆に奈留島で乗り込む人も多数です。繁忙期の対策か、船室が福江発の人だけで埋め尽くされないように奈留発や奈良尾発の区間が事前に設定されていました。この日はそんなに混雑していませんでした。

 

長崎市街地は2年ぶりぐらい。海の上から眺めるのもいいですね。世界遺産ジャイアント・カンチレバークレーンも対岸から見るよりは大きく観察できます。

昼下がりの長崎市中心部・大波止に到着。少しだけ続きを。

 

[14a] 徒歩 大波止崇福寺

運動不足だなと思ったので歩きました。少しだけ坂を上り下りして、浜町アーケードをひたすら抜けてその先へ。2年前は東山手や南山手のあたりを重点的に見て、国宝かつ世界遺産大浦天主堂も内部拝観したところ。長崎県の国宝の建造物は大浦天主堂崇福寺の2箇所なので、崇福寺も行ってみることにしました。崇福寺は長崎に出入りしていた唐船の船主が媽祖堂を建てて航海の安全を祈願したのが由来の、黄檗宗の寺院。

 

路面電車の行き先にもなっている割に、実際に訪れてみると観光客の姿はまばら。大雄宝殿は1646年、第一峰門は1695年再建のかなり古い建築物で、異様な規模の組物や色彩のセンスに異国情緒を感じます。第一峰門は寧波で組んだ材木を再構築するプレハブタイプ(隠岐の焼火神社も大阪で組んだものを現地で再構築していましたね)。

 

[14b] 徒歩 崇福寺長崎駅

 

中華街に寄りながら散歩。平日なので中華街はあまり店が開いていませんでした。

以前は特急かもめで長崎にやってきましたが、もう新幹線が完成していて月日の流れを感じます。私は高速バスで佐世保に向かいました。

今回のゴール、佐世保

短い記事でしたが、夜行入りすると五島に一泊でも意外と楽しむことができるということを示せたと思います。佐渡と五島は車なしでもかなり楽しむことができるので、一人で離島旅を計画なさっている方がいらっしゃれば是非参考にしていただけると幸いです。

 

次回記事はとうとう海外編です。この記事にもぜひスターをつけて応援してくださると幸いです。

公共交通で巡る五島のしまたび[前編]

祈りと絶景の共存。穏やかな島の暮らしに溶け込む一日。

1ヶ月と少し前に「路線バスで巡る佐渡のしまたび」という全2回の短い記事を出したところですが(おそらくほとんど閲覧されていないので、ぜひお時間ありましたらご参考までに)、そのときに、路線バスをパズルのように組み合わせることで佐渡サイズの離島であっても、少し時間にゆとりを持てば公共交通と自分の足だけで一通りの観光名所を訪れることができるというのを示しました。あのときは曜日の関係で灼熱の5km徒歩とかが含まれていたのはご愛嬌といったところです(しかも歩いてもかなりいい景色だったので全然辛いだけではありません)。佐渡でいけるなら他の同じような大きめの離島も行けるのではないかと考えていたところで、隠岐は既訪でしたのであと考えつくものとしては対馬壱岐あたりでしょうか。

しかし、今までの記事をご覧になっている方ならなんとなくわかるでしょうが、基本的に重伝建か重要文化財の建築が(複数)ないと旅程が生えてきません。ということで五島が選択されたわけです。

 

前回沖縄の記事で最後福岡空港に飛んでおしまいとしていましたが、それはこの旅程を実行するためでした。

とりあえず福岡空港から天神へ出て、ご飯を買い込んで博多港へ。夜行便は壱岐対馬ルートと五島ルートの双方があるのでターミナルはそれなりに賑わっていました。コンビニとかもあるので最悪手ぶらで来ても困りはしないでしょう。

[1] 野母商船 フェリー太古 博多港→青方港

みなさん大好きフェリー太古。本土から五島向けは夜行、五島から本土向けは昼行の少し珍しい船ですが、一隻で回しているのがすごいですね。博多港を23:45とかなり遅い設定ですが、実際には2時間前の21:45から乗船して中で食事や携帯の充電、睡眠etc. が行えます。逆にギリギリに行ってもさまざま陣取られていそうという感想です。

ちなみに学割の適用にはみどりの窓口でJRに差し出す学割証が必要です(学生証だけでは通りませんので注意)。クレジット対応です。

 

ちなみにコンセントのあるカフェスペースみたいなところや雑魚寝はかなり繁盛していました。休前日となるとグリーンの方の区画も結構混むようですね。別に無課金エリアでも夜は越せると思います。新しい船ですしトイレなども綺麗。

 

とても疲れていたので気絶するように寝て、起きたら宇久島の宇久平港に着くところでした。お年寄りもたくさん降りていくので驚いてしまいました。凄まじい早朝ですがどうかお体労って。

 

続いて小値賀島の小値賀港でもかなりの方が下船。無課金エリアはだいぶ空いてきましたが、よく考えたら長く乗る人は課金エリアにいがちですよね。私は粘って中通島の青方港で下船しました。

敢えて接続の有川ゆきを逃して、まだ暗闇の中を最寄りの市街地(青方)まで2kmほど歩きます。青方港とは言うものの、相河桟橋は大きな太古の接岸に備えて結構遠いところにターミナルを再建したのでした。ターミナルは新しいのでトイレなどは綺麗。ちょうどここで腹痛に襲われたのが怪我の功名です。

青方では早朝からほっともっとやローソンが営業していて、あまり離島に来たという感じはしません。国道の1本裏の通りに入るととても雰囲気が良い。少し離れて旧上五島町役場のおしゃれな洋館があります。

[2] 西肥バス 立串ゆき[榎津廻り] 青方→青砂ヶ浦天主堂

もともとは小値賀島の目と鼻の先のところにある津和崎地区に向かう系統で、上五島町新魚目町を縦貫していましたが、需要減に伴い新魚目地区の中心である立串までに短縮されました。ただ本数は離島にしては充実しています。東向きの海岸を通るので朝日が綺麗。

 

青砂ヶ浦天主堂鉄川与助による設計の煉瓦造のかなり重厚な建築。1910年の建立で国指定重要文化財です。早朝に行ったので内部は拝観できませんでしたが、穏やかな湾に向かって凛として佇むその存在感には圧倒されるものがあります。

細かいところでも教会堂の裏側の多角形的な造作など、丁寧に作られているのがわかる建築だと思います。

歩いて戻っている途中にスクールバスに抜かれるなど。結構公共交通は充実していそうです。

 

[3] 西肥バス 青方ゆき[奈摩廻り] 青砂浦別道→上五島病院前

青砂浦

バス停から

少し戻って奈摩循環線で、行きとは違う道を通って青方市街地へ。奈摩郷もよさそうな集落です。半島のど真ん中を直接上り下りします。青砂浦別道でもバスの接続を行っていてすごい。

 

 

当初の計画では有川まで始発のバスで出て船隠集落までバスで往復するつもりでしたが、もしそうしていたら腹痛で倒れていたと思います。今度は鯛ノ浦・浜串方面も訪れてみたいですね(流石に効率の問題上車があったほうが吉でしょう)。

[4] 西肥バス 有川ゆき 上五島病院前→有川

わずかな接続で有川へ。乗り継ぎが考慮されていてとても嬉しい。高校生がわんさか乗っていて、高校前で降りていきました。

[5] 西肥バス 頭ヶ島天主堂ゆき 有川→頭ヶ島天主堂

船の中で早朝に朝食を食べましたが流石に早すぎてお腹が空いたのでさくっとパン屋で惣菜パンをゲット。中通島の隣の島、頭ヶ島に向かう路線バスに乗り込みます。1日数便のみで、観光に対して有効なのはほぼ午前中の2本のみです(どちらにせよ折り返しは頭ヶ島天主堂12:00になります)。今回は余裕を持ってたっぷり頭ヶ島に2時間半ほど滞在できる便を選びました。頭ヶ島は、集落が世界遺産(構成資産として天主堂を含む)、天主堂が重要文化財に指定されています。

まだ朝早い頭ヶ島。観光客は私ともう一組だけでした。ガイダンスセンターで一通り説明を受けてから教会堂内部へ。30分の時間制限があります(00分、30分から開始される枠をまたげないの意です)。

まず外見の話をすれば、そこまで巨大な建物ではないにもかかわらずその存在感に圧倒されます。日本では珍しい石を主体にしたテクスチャは、重厚でありながらも青空に映えて、異国情緒すら感じさせます。色ガラスもなんともいえない良さがある。

 

内部は撮影禁止なので詳しくは観光協会などのHPを参照していただければと思いますが、外見から想像されるよりはかなり広く感じました。自然光がやわらかに内部を照らしていて静かな祈りの場を体感したところです。

 

ガイダンスセンターに戻ると、バスまで時間がたっぷりあるから昔ながらの里道を歩いてみたらどうだろうかという提案があったのでそうしました。手始めに天主堂のある白浜集落の海岸へ。びっくりするぐらい青いです。直前に沖縄にいたのに全然色褪せないレベルの感動。ここで2時間残り過ごしてもいいぐらい。

そうもしていられないので教会堂の裏を登る道に入ります(入口が少しわかりにくい)。気持ちの良い木陰が続き、そのまま尾根筋にある県道空港線に出ます。そして少し空港方面に進むと(そういえば上五島空港に行き忘れていました)絶景スポットがあります。白浜の集落とロクロ島を望みますが、海のすさまじい色彩よ。言葉はもういりません。

里道

トップ画像の位置です

まだ時間があったので田尻集落へ下がる里道へ。少しだけ石垣集落が残されていました。

踵を返し、徒歩で頭ヶ島大橋を渡ります。どこを切り取っても美しい。

橋を渡って少し進むと友住集落。石材が近隣で採掘されたため石畳や石塀が多い集落で、重要文化的景観に選定されています。佐世保へ一日一往復フェリーが出ているようです。

続いて赤尾集落へ。さらに石の存在感が増し、神社も石垣でガッチリと固められ、家屋の腰板も石、壁全体が石の建造物まで存在します。

[6] 西肥バス 有川港ターミナルゆき 赤尾→有川港ターミナル

ようやく有川へ。お腹が空いたのでエレナで刺し身と巻寿司を買いましたがお手頃で絶品でした。地魚最高!

レモンの使い所だけはわかりませんでした

ターミナルでお土産を買ったり(売店が一つあります)、資料館(結構充実している)を駆け足見学したりして時間を潰します。

 

[7]西肥バス 奈良尾ゆき 有川港ターミナル→奈良尾港ターミナル

 

このあたりが上五島の難しいところで、昼間帯に下五島の方へ進むには基本的には奈良尾に出なければならず、しかもそんなに船の便数があるわけでもありません。これに合わせてすべての行動の時刻が決められると行っても過言ではありません。

車窓はとてもよい。特にカトリック中ノ浦教会のあたりなど、五島だなあと感じます。疲れが溜まっていてかなり爆睡していましたが…

奈良尾の市街地に出る時間はなかったのでターミナルのお土産屋で買い物。奈良尾産のお菓子は割といろいろなところで幅を利かせています(一部は長崎空港でも取り扱いがあるぐらい)が、結構ディープそうなものも。

 

[8]九州商船 福江港ゆき 奈良尾港福江港

なんとこの短い区間にも学割の設定があります(学生証のみで利用可)。1時間は寝ていたらあっという間でした。クレジット利用も可能になっていました。

 

福江港ターミナルに到着。福江港はかなり繁華で、土産屋もたくさんあります。五島バスの一日乗車券(¥1000) を買おうとしたらなんと窓口が定休日と書いてありびっくり。観光案内所に問い合わせ、無事GOTO TSUBAKI HOTEL のフロントで購入できました。割と接続がギリギリだったので焦って市街地のバス停に向かいます。

[9]五島バス 向小浦ゆき 新栄町→玉之浦

 

一瞬で福江の街を後にします。この向小浦ゆきは旧福江市と旧玉之浦町の大宝、玉之浦、島山島を結ぶ基幹的な系統です。途中の岐宿町二本楠では、一度バスプールのようなところに立ち寄り、岐宿ゆきと富江ゆきに対面で乗り換えられる面白いダイヤ編成になっており、実際に利用されている方もいらっしゃいました(他には京都府南丹市営バスも同様のことをしていますね)。

 

二本楠から先はかなりの山間部を通り離島感はあまりありませんが、玉之浦湾が見えるところまで来ると、ダイナミックな地形に旅情が掻き立てられます。

海というよりはダム湖に見えるような景色が続く

大宝集落に立ち寄った後は、湾を回り込むようにして北上。向小浦までは行かず玉之浦で下車しました。途中には西の果て・大瀬崎灯台への登り口がありますが、バス停から歩いていると確実に終バスを逃してしまいます。

玉之浦は地形上天然の良港で、古くは沖合漁業の基地として栄えた場所で、一時期は1万人近くの人口を数えました。現在は静かな漁村といった趣ですが、海沿いから一本入った道沿いにはかなり密度の高い街並みが残されていました。海沿いの民家の合間に教会が佇んでいるのがまことに五島らしい景観です。

 

[10]五島バス 福江ゆき 玉之浦→お濠前

 

もと来た道をそのまま戻ります。闇に沈んだ山並みの中をぐんぐんと進んでいきます。福江の街明かりが私をホッとさせるのでした。

 

福江の夜は、開いている店はほとんどが居酒屋で、最近の観光客増の影響か、多くの店が予約のみや満席御礼となっていてかなり険しい。逆にGoogleが営業中と書いていてもシャッターが降りている店も多くあります。

 

結局居酒屋で五島うどん定食を頂きました。うどんが美味しいのはそれはそうなのですが、小鉢のきびなごの煮付けや酢の物がとても美味しかった。こういう偶然の出会いにこそ旅行の楽しさがあります。

 

次の記事に続きます。お手すきでしたらスターをつけてくださると筆者が喜びます。

沖縄:公共交通で巡る歴史とグルメの旅[3,4日目/北部から南部へダイナミックに]

重層的な戦乱の歴史を忘れない。

おはようございます。沖縄3日目の朝。本島北部の本部町からスタートです。

[6] やんばる急行バス YKB888 空港線 本部高校入口→高速山里

ひたすらお世話になり続けたやんばる急行バスもこれで最後の利用。今回の北部への訪問はYKBがなければなし得なかったといっても過言ではないでしょう。朝早くから那覇に向かう多くの人々を乗せて、名護市街地でだいたい満席になりました。

本島中部で見たいところがあったのですが、YKBのバスは石川地区などでは乗降扱いがありません(し、降りることができたところで路線バスのバス停へのアクセスが微妙です)。そこで一度沖縄市の山里バス停まで南下し、少し歩くとプラザハウス前のバス停にアクセスすることができ、そこから北上し直すこととなりました。こういうものはすべて「バスマップ沖縄」さんで検索して考えたもの。管理者の方に御礼申し上げます。

またちなみに運賃の支払いには、OTOPaの1日フリーパスを利用しています。評判の悪いアプリですが、今回十数回利用して特にトラブルはありませんでした。乗降時に運賃箱の近くに掲示されているQRコードを読み取るだけです。

 

[7] 琉球バス交通 27系統[那覇→屋慶名] プラザハウス前(胡屋向け)→西原入口

 

高速バスが10分ぐらい遅れたのでヒヤヒヤしていましたが、このバスも15分ぐらい遅延していたので特に大きな問題は生じませんでした。8時台後半〜9時頃でしたが他の路線バスもだいたい10~25分遅れで到着していたように思います。ほとんどが那覇市内から来る中距離路線なので仕方ないですね。

高速バスでだいぶ南下してしまった部分を取り戻し、胡屋、コザ、具志川を経由して与勝半島に入っていく期間的な路線です。大きな市街地を串刺しにするもののほとんど渋滞もなくスムーズに進んでいきました。案外バス車内も空いています。胡屋もかなり栄えていそう。

西原入口

西原入口から数分歩くとこの日の最初の観光スポットであるところの世界遺産・勝連城跡に至ります。城に登る前にあまわりパーク(資料館)で入場券を購入し、歴史の学習を行いました。

勝連城は15世紀に、与勝半島地域を拠点に外商で財を成した阿麻和利が築城したものです。阿麻和利は琉球国王の系統に対して最後まで従属しなかったために逆賊として歴史上軽視されがちではありましたが、近年その功績が再評価されてきているようです。詳しくはぜひ資料館の展示をご覧ください。

資料館からは随時出発する電動カート(無料)で坂の中腹までラクラク連れて行って頂けます。天気が悪かったのでかなり助かりました。首里城よりもさらに地形に合わせた曲線美が目立つ印象で、さらに基盤とされている山が急峻であることからかなり難攻不落だったことが想像されます。

最上部からは具志川の市街地や、与勝半島と宮城島を結ぶ海中道路などが観察されます。もう少し晴れていればなあ。

 

帰りは自力で降りて正面にあるバス停から那覇向けのバスに乗車します。

 

[8] 沖縄バス 52系統[屋慶名→那覇] 勝連城跡前→北中城村役場

 

27も52もどちらも那覇与勝半島の屋慶名を結ぶ路線ですが、27は概ね国道330号で北上する(胡屋経由)のに対して、52は国道330号より東側を通って北上する(泡瀬経由)路線です。コザ付近で重複がありますがほとんど先程のバスとは違う景色で面白い。沖縄の道は4車線でも勾配に沿ってうねるような道が多くて新鮮ですね。Google Maps からはわからなかった急勾配(歩かなくてよかった)を登って北中城村役場に到着です。

 

[9]北中城村 グスクめぐりん[喜舎場廻り] 北中城村役場→大城

 

勾配がすごいのと天気が悪いので、すぐに続いてきた北中城村ハイエースに乗車。結構人が乗っています。1乗車200円でフリーパスの対象外ですが、中城城跡へのアクセスに使えます。住宅街を縫うようにして進みます。

 

今回は本島で唯一の住居としての重要文化財、中村家住宅を見学するため大城で降車。バスで来たという話をしたら少し驚かれてしまいました。

中村家住宅は18世紀中頃に建築された地頭職の邸宅で、士族階級の屋敷構え(母屋や石塀)や、農民としての暮らしに必要な高倉や畜舎などがセットで残っている極めて貴重な例です。おそらく沖縄本島ではここでしか(現存の形では)公開されていないのでもう少し注目されてもいいような気がします。美しく格式高い建物です。

 

[9a]徒歩 中村家住宅→中城城跡

 

それほどの距離ではないため中城城跡まで歩きます。中城城跡も世界遺産に登録されています。雨が降ってきてビシャビシャになりましたが、ここでもチケットカウンターから城登り口までの電動カート(無料)が運行されていてありがたい。

 

中城城の築城年代は正確には明らかになっていませんが、先中城按司、ついで座喜味から移転してきた護佐丸が現在の形の大枠を整えたとされており、護佐丸が阿麻和利に滅ぼされてからは中城王子の居所、ついで沖縄が薩摩藩に制圧されてからは番所として、廃藩置県後は役場として使用されていました、

城郭の中は極めて広々としており、石造りのアーチ状の門が極めて特徴的です。石積はかなり堅固なものであり、沖縄戦でも被害が少なく、保存状況はかなりすばらしいものです。雨だから観光客は少なめですが、晴れていたら与那原方面の海岸線が一望されてかなり気持ちのいいところだと思います。

 

[9b]徒歩 中城城跡→中城役場前

 

ここはかなり長い徒歩を挟まざるを得ない区間。標高差100mぐらいある坂を延々と下っていく区間です。上りだったらかなり嫌です。下りでよかった。途中の見晴らしはいいです。バスはかなりの確率で時刻表通りには来ないのでロケーションシステムで確認すると吉です。かなり次まで時間が空いていそうだったので最寄りの中城小学校前から進んで、風景印を収集していました。

[10] 東陽バス 30系統[泡瀬→那覇] 中城役場前→大里入口

 

やっとバスに乗れます。この系統は泡瀬から中城村西原町与那原町国道331号で縦断し、そこから進路を西に変えて那覇市中心部に向かう路線です。国道331号は流れが良い道であまり遅延が拡大しませんでした。与那原町は少し繁華なイメージ。その中心部を過ぎてすぐのバス停で下車。

さらに南下するならば一般的には国場交差点のあたりで乗り換えるのが定石ですが、乗り換え時間がかなり危なかったため安全策をとることにしました。

 

[10a]徒歩 大里入口→嶺井団地入口

 

これはほんの数分ですし道間違えの危険性もほぼない穏健な乗り換えです。

 

[11]南城市Nバス C2[大里・玉城線] 嶺井団地入口→長毛

 

素晴らしい。ちゃんと間に合いました。南城市Nバスは結構便利で、サービスのわかりやすさとしては他の部分の路線バスを遥かに超越しています。ポンチョで南城市南風原町八重瀬町の境界部分をグネグネと進んでいきますが、割と市外にはみ出しまくっているのが面白い。下車した長毛も八重瀬町[旧具志頭村]で、橋を渡って対岸が南城市[旧玉城村]堀川地区です。

 

長毛には港川フィッシャー遺跡がありますが、そういえば昼食を食べそびれていたことに気づき、対岸のスーパーでおいしい惣菜を購入して食べていたらバスの時間になってしまいました。

 

[12]琉球バス交通 82系統[玉泉洞糸満線] 長毛→平和祈念堂入口

 

とてもいい感じの接続で平和祈念堂へ。

平和祈念堂の内部は平日だからか誰もいなくて逆に驚きました。沖縄県平和祈念資料館は訪問時は工事中で臨時休館。平和の礎や摩文仁の丘地区にはいくつかの修学旅行生のグループが訪問していましたが、むしろ悪い意味で静寂を切り裂いているとも言えましょう(そうだとしても来ないよりは遥かに優れていることです)。それを除けば慰霊に来る人の姿はまばら。普段からこういうものだとすればなかなか寂しいものです。

 

[13]琉球バス交通 82系統[玉泉洞糸満線] 平和祈念堂入口→ひめゆりの塔

 

沖縄戦の激戦地、糸満市で訪問が欠かせない2箇所といえば先程の平和祈念公園とこのひめゆりの塔でしょう。今回はこちらしか資料館が開いていなかったのでじっくり見ようと思っていたら、展示の内容は充実しており、またその実感させる展示と事実の凄惨さを受け止めているうちに閉館時間になって最後まで見切ることができませんでした。また来よう。こちらも修学旅行生が嵐のように来て嵐のように去っていきました。

 

ところでお恥ずかしながら、帰ってから気がついたことですが、ひめゆりの塔というのは名前が刻まれた大きな石碑のことではなくて、その脇に立っている石碑のことなんですね。全然気がついていませんでした。

 

[14]琉球バス交通 108系統[糸満左回り循環線] ひめゆりの塔前(摩文仁・真壁向け)→糸満市場入口

 

閉館まで粘った結果82系統が全然来ないタイミングになってしまったので、108系統でとりあえず北上しどこか内陸で乗り継ぐ(例えば、照屋入口で446系統に乗り継ぐ)といいという検索結果だったので信用して乗ってみたところ、どんどん遅延が拡大して、乗り換えるはずだった446系統はとっくに照屋を去ってしまっていました。このままでは夕食が蒸発すると直感した私はそのまま糸満ロータリーのあたりまでバスを乗り続けました。

 

糸満の市街地は夜になると割とひっそりとしていました。偶然開いていた居酒屋に入店して、美味しい中身いりちゃーをいただきました。当然主菜は美味しいのですが、味噌汁がとびきりの美味しさ。もし飲酒しに行った場合でも味噌汁を飲みたい。

 

[15]琉球バス交通 34系統 糸満営業所→(八重瀬経由)→那覇BT

 

営業所まで行ったらまあ豊見城を通ってまっすぐ北上する系統(たとえば89系統[海沿いを北上]、446系統[やや内陸を北上])に乗れるだろうと思って軽い気持ちで行って、時間より少し早いけれどもバスが来て那覇ゆきと書いてあったので乗ってみたら、なんとかなり内陸の東風平まで東へ進んでしまいました。焦りましたが、まあ多少時間はかかったにせよ無事に那覇に着いたのでよしとしましょう。ちなみに89系統は夕方は15分間隔、446系統は30~40分間隔に対して、34系統は1日12本です。なんだかバスって難しい。

 

那覇に着いたのでとりあえず寝ました。

 

[補記]

 

おはようございます。翌日目を覚ましてみると、乗ろうとしていたフェリーざまみのダイヤが変更になっており、阿嘉島に日帰り滞在できないという事態になっていました。各海域が荒れていてどこに行く船も減便や欠航になっています。しょうがないのでもう一日バスに乗ることにしました。

 

[16]東陽バス 338系統 開南→斎場御嶽入口

宿が多い美栄橋/国際通り近辺からは、アーケードを通り抜けて開南バス停の利用が便利。

琉球王国最大の聖地である斎場御嶽に行く系統ですが、現在は多くが途中の馬天営業所や南城市役所で分断されていて、直通してくるバスは1日6本しかありません。斎場御嶽に向かう人、久高島に渡航する人などで結構混雑していました。

 

とりあえずお腹が空いたので道の駅のようなところで4日目にして初めてのサーターアンダギーを摂取。一緒に買ったもちもちカステラみたいなものが美味しかった。

斎場御嶽の中は撮影は控えるようにとはいろいろなHPに書いてあるところですが、現実には結構自撮りをしている方などはいらっしゃいました(が特に注意されていたわけでもない)。どういった扱いをしておけばいいのかはよくわかりません。名前を検索エンジンに入れると行くなとか怖いとかそういうサジェストが多く出てくるので少し慄きますが、行ってみれば確かにこれは聖地になりそうだという地形をしています。光の入り方によってはかなり神々しい感じになるのでしょう。ちなみにこの日は知念村のあたりだけやけに天気が良かったです。

入口に郵便局がある親切仕様なのですぐに風景印が収集できます。

 

[17]南城市Nバス[B1:佐敷・ニライカナイ橋・つきしろ線] 斎場御嶽入口→親慶原

 

前述の通り直通バスはあまりにも本数が少ないのでNバスで脱出します。絶景のニライカナイ橋をバスで走り抜けて、高台の住宅地を抜けると親慶原です。車窓に沖縄そば屋が見えたので適当に降車ボタンを押し食べに行ったら、かなり当たりでした。よもぎ麺や豚肉のさまざまな部位の組み合わせは、内地では一気に食べられることは少ないでしょう。

 

[17a]徒歩 親慶原→南城市役所

 

バスが来るはずだったけれども凄まじく遅延していたので歩きました。南城市役所はとても立派で、バスターミナルも感動の綺麗さ。那覇から南城市役所の市外線を集約して高頻度運転とし、ここから市内各地にNバスをきめ細やかに走らせるというのは、鉄道がない沖縄ではかなり先進的な取り組みなのではないでしょうか。とても好感を持てます。

[18]系統番号不明 南城市役所→那覇BT

あまりにも高頻度で来るので、何番か見ないうちに那覇行きますよと運転手に言われてすぐに乗り込みました。佐敷から行きと同じ道。

 

[19]沖縄バス 77系統[那覇→名護] 那覇BT→上之屋

有名な長距離系統に少しだけ乗車。この部分だけ、正確には那覇BTから国道58号に出るまでで既に10分ぐらい遅延してしまっていました。毎日こんな感じなんでしょうか。

 

上之屋から歩いて沖縄県立博物館(おきみゅー)や崇元寺石門を見学。そのあとは食事処三笠松山店で、名物料理の三笠のちゃんぽんを。どのあたりがちゃんぽんなのかは最後までわかりませんでしたが、味はとてもおいしかったです。

そのまま急いで那覇空港に向かい、飛行機に搭乗。次の旅行(次の記事)に続きます。

今回は殊に長大でしたね。最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございます。

沖縄:公共交通で巡る歴史とグルメの旅[2日目/伊是名島]

手に届くところに、神がかった景色。

 

この日からはひたすらバスや船を乗り継いで移動を行います。

おもろまち駅

とりあえずおもろまち駅のバスターミナル(の外側の大道に接しているところ)からスタート。

 

① やんばる急行バス 空港線 YKB888 おもろまち駅前→今帰仁村役場

はじめから高速バスで失格とされてしまいそうですがあまりにも便利なので。運賃は前払いでクレジットカードでも支払いできるのはかなり強い。早朝の便なのに乗車率はかなり高いです。

伊芸SA

途中石川IC付近で工事をしていたので20分ぐらい遅延。途中の伊芸SAでの休憩を切り詰めながら進みますが、名護市内などでもそこまでスムーズではありませんが、そこを過ぎれば爆走が始まります。風景印を集めたかったという理由だけで今帰仁村役場で下車。運賃の差額で風景印をもらい、運天港へ凄まじい勢いで歩きはじめます。想定しているよりも暑く、そして起伏も激しく険しい道程でしたが、屋根瓦を白漆喰で固めた家など、沖縄っぽいなあという漠然とした感情になります。

運天港は伊是名村伊平屋村の村営フェリーが発着する港。コンパクトではありますがそれなりの大きさのフェリーが2つ並んでいると結構圧力があります。(帰りの時間は二隻とも並びます。その時の画像がこちら)

 

② フェリーいぜな尚円 運天港→仲田港

1日2往復ある伊是名島航路に乗船。2023/2現在で往復3600円(うち入島税100円)、窓口では現金払いのみでした。伊是名島は実は沖縄本島から日帰りで行ける離島ですが、あまり観光についての情報はあまりたくさんあるわけではありません。バス乗り継ぎといいながら、この記事で伝えたいところは「伊是名島ってすごい!」という話です。

 

伊是名島航路はおよそ1時間程度の短い航海ですがいくつか見どころがあります。まず出港直後にすぐ古宇利大橋の全貌を眺めることとなり、青い海、エメラルドグリーンのサンゴ礁コントラストが大変美しいです。しばらくの間古宇利島の横を進みますが、リゾート感が満載。ちなみに船はそんなに混んでおらず、しかもかなりピカピカです。

そこからしばらく青い海が広がり、それなりに揺れます。そしてすぐに伊是名島のそり立った岩峰の特徴的なシルエットが見えてきて到着です。入港するとすぐにハブがいないアピールをされます。さすが沖縄。

仲田港のターミナルには売店がありお土産が一通り揃っています(逆に他に集積しているところはなさそう)。伊是名島にはバスやタクシーは存在せず、レンタカーとレンタサイクルは存在していますが、結構勾配もあるので今回は徒歩で回ってみることとしました。2023/2 現在のダイヤでの日帰り滞在時間は2時間。速やかに歩行する必要があります。

 

まず仲田港から南側に出て、伊是名玉陵方面に向かいます。農作業をしている方一人ぐらいしかすれ違わず、本当に人気のなく、ただ太陽の光が降りしきる広い道を進みます。

誰とも出会わぬまま重要文化財の伊是名玉陵に到着。伊是名島は、第二尚氏王統の始祖であるところの尚円王の出身地であり、伊是名玉陵も琉球国王家と関係があるものとされていますが、実際の被葬者が完全に明らかになっているわけでもなさそうです。那覇の玉陵と異なり石の階段を登った先に入口がありますが、崩壊の危険性から階段の手前からの拝観となります。石塀の内側の建物は遠くからしか見えません。近づけはしませんが、その荘厳さは十分に伝わるものとなっています。

そこからしばらく進むと私の契約している通信会社では全然電波が入らなくなり、いったい自分が全体のどれくらい進んだのかわからなくなってしまいました。伊是名集落の中心部でもキャリアによっては圏外になるようなので訪問の際はその点注意が必要です。

 

ただサムレー道の分岐を除けばほぼ一本道なので地図がなくても迷うことはありません。汗だくになりながら進むと忠霊塔の正面に展望台があり、眼下には美しいビーチ、エメラルドグリーンの海が隣の屋那覇島まで続いていて、初沖縄の私としては感動モノです。しばらく時間も忘れて立ち止まっていました。

岩峰

トップの写真の場所 すばらしい

坂をくねくねと降りていくと伊是名漁港にたどり着きます。漁協の直売所にはおにぎりと天ぷらが売っていました。滞在時間が短く飲食店に入れないのでありがたい。もっと早い時間に来ると弁当もありそうです。もずくやアーサの加工品も販売されていました。

 

そして整備された街角を通り過ぎると伊是名集落に至ります。集落に入ると重伝建地区として指定されていてもおかしくないほどの、the沖縄という風景が広がっています。ハブが生息していないために珊瑚石を積み重ねた各家と道を隔てる石塀が残り、フクギの並木も面的に広がっていて強い日差しを遮っています。日陰と日向のコントラスト、ハイビスカスや琉球寒緋桜の色彩が、常夏の島を印象づけます。

 

既に建物は失われたり近代的なものに建て替わっていたりしますが、一部旧家がそのまま残っている区画もあり、特に重要文化財に指定されている銘苅家住宅(村の管理)は明治時代後期に建造された伝統的な琉球様式の民家であり、沖縄本島にもあまり現存していない貴重なものです。敷地内は極めてきれいに整備されています。屋敷の格式の問題なのか、ここはゴロゴロした珊瑚石積ではなく切石積になっています。

 

 

帰りは内陸部を通る道から。伊是名村役場や伊是名郵便局の前を通り、海に向かってダイナミックに下がっていく道を進んで港に戻りました。船まではあと十数分。結局一周7km ほどの道のりだったようです。港のお土産屋で伊是名島の酒蔵の泡盛を購入して乗船します。

 

③ フェリーいぜな尚円 仲田港→運天港

 

帰りは海がさらに時化ていて、船はそれなりに揺れましたが無事に到着。その後数日間波浪の傾向を眺めていましたが、他の本島周辺の離島(慶良間諸島久米島粟国島etc)に比べて航路が高波の部分を通過しないように感じました。今回は駆け足で見てしまいましたが、きっと一泊しても見応えのある島でしょう。

運天港には売店があるので食料調達は可能です。

 

④やんばる急行バス 空港線 YKB888 運天港→ホテルオリオンモトブリゾート&スパ(沖縄美ら海水族館)

 

船と接続する時間のやんばる急行バスはちゃんと運天港から出発します。今帰仁から空港に行くだけなら名護に直行したほうが早いですが、世界遺産今帰仁城跡やリゾート地の美ら海水族館周辺からもしっかり乗客を拾っていくと確かに吉です。このバス停からは備瀬のフクギ並木も近いですが先程島でたらふく見たのでパス。水族館に直行します。

 

訪れたときには16時以降に入ると水族館のチケットが安くなる制度が存在したため、時間調整に先にマナティーでもと思い建物に入った瞬間に凄まじい雨が降ってきて出られなくなりました。マナティーありがとう。

この雲です

雨が小康状態になったところで水族館の本体へ。内部は暗く、魚はとてもすばしっこいので、手持ちのカメラではまともな写真が取れませんでしたが、楽しかった。ちなみに高速道路の深夜割引待ちみたいなイメージで16時直後からの人流に乗ろうとするとそれなりに混雑していました。

17時になると大水槽でジンベエザメの餌やり。ジンベエザメはその巨体で相対的に極めて小さい餌を摂取しますが、効率よく餌を濾し取るためにその時だけ立ち泳ぎになるそうです。面白い。

琉球バス交通 66/70 本部半島循環線 石川入口→本部高校入口

 

とりあえず宿に荷物を置いて、夜ご飯へ。沖縄でよく食べられているものの一つのステーキをお手軽に食べられました。ステーキソースを食べ比べできるのが地味に嬉しい。

本部町の市街地で朝食を買い出し。夜になるとスーパーを除いてかなりひっそりとした雰囲気になりますが、地元スーパーってやっぱり面白いですね。2日目はこれで終わり。おやすみなさい。