埴輪はどこかへ

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沖縄:公共交通で巡る歴史とグルメの旅[3,4日目/北部から南部へダイナミックに]

重層的な戦乱の歴史を忘れない。

おはようございます。沖縄3日目の朝。本島北部の本部町からスタートです。

[6] やんばる急行バス YKB888 空港線 本部高校入口→高速山里

ひたすらお世話になり続けたやんばる急行バスもこれで最後の利用。今回の北部への訪問はYKBがなければなし得なかったといっても過言ではないでしょう。朝早くから那覇に向かう多くの人々を乗せて、名護市街地でだいたい満席になりました。

本島中部で見たいところがあったのですが、YKBのバスは石川地区などでは乗降扱いがありません(し、降りることができたところで路線バスのバス停へのアクセスが微妙です)。そこで一度沖縄市の山里バス停まで南下し、少し歩くとプラザハウス前のバス停にアクセスすることができ、そこから北上し直すこととなりました。こういうものはすべて「バスマップ沖縄」さんで検索して考えたもの。管理者の方に御礼申し上げます。

またちなみに運賃の支払いには、OTOPaの1日フリーパスを利用しています。評判の悪いアプリですが、今回十数回利用して特にトラブルはありませんでした。乗降時に運賃箱の近くに掲示されているQRコードを読み取るだけです。

 

[7] 琉球バス交通 27系統[那覇→屋慶名] プラザハウス前(胡屋向け)→西原入口

 

高速バスが10分ぐらい遅れたのでヒヤヒヤしていましたが、このバスも15分ぐらい遅延していたので特に大きな問題は生じませんでした。8時台後半〜9時頃でしたが他の路線バスもだいたい10~25分遅れで到着していたように思います。ほとんどが那覇市内から来る中距離路線なので仕方ないですね。

高速バスでだいぶ南下してしまった部分を取り戻し、胡屋、コザ、具志川を経由して与勝半島に入っていく期間的な路線です。大きな市街地を串刺しにするもののほとんど渋滞もなくスムーズに進んでいきました。案外バス車内も空いています。胡屋もかなり栄えていそう。

西原入口

西原入口から数分歩くとこの日の最初の観光スポットであるところの世界遺産・勝連城跡に至ります。城に登る前にあまわりパーク(資料館)で入場券を購入し、歴史の学習を行いました。

勝連城は15世紀に、与勝半島地域を拠点に外商で財を成した阿麻和利が築城したものです。阿麻和利は琉球国王の系統に対して最後まで従属しなかったために逆賊として歴史上軽視されがちではありましたが、近年その功績が再評価されてきているようです。詳しくはぜひ資料館の展示をご覧ください。

資料館からは随時出発する電動カート(無料)で坂の中腹までラクラク連れて行って頂けます。天気が悪かったのでかなり助かりました。首里城よりもさらに地形に合わせた曲線美が目立つ印象で、さらに基盤とされている山が急峻であることからかなり難攻不落だったことが想像されます。

最上部からは具志川の市街地や、与勝半島と宮城島を結ぶ海中道路などが観察されます。もう少し晴れていればなあ。

 

帰りは自力で降りて正面にあるバス停から那覇向けのバスに乗車します。

 

[8] 沖縄バス 52系統[屋慶名→那覇] 勝連城跡前→北中城村役場

 

27も52もどちらも那覇与勝半島の屋慶名を結ぶ路線ですが、27は概ね国道330号で北上する(胡屋経由)のに対して、52は国道330号より東側を通って北上する(泡瀬経由)路線です。コザ付近で重複がありますがほとんど先程のバスとは違う景色で面白い。沖縄の道は4車線でも勾配に沿ってうねるような道が多くて新鮮ですね。Google Maps からはわからなかった急勾配(歩かなくてよかった)を登って北中城村役場に到着です。

 

[9]北中城村 グスクめぐりん[喜舎場廻り] 北中城村役場→大城

 

勾配がすごいのと天気が悪いので、すぐに続いてきた北中城村ハイエースに乗車。結構人が乗っています。1乗車200円でフリーパスの対象外ですが、中城城跡へのアクセスに使えます。住宅街を縫うようにして進みます。

 

今回は本島で唯一の住居としての重要文化財、中村家住宅を見学するため大城で降車。バスで来たという話をしたら少し驚かれてしまいました。

中村家住宅は18世紀中頃に建築された地頭職の邸宅で、士族階級の屋敷構え(母屋や石塀)や、農民としての暮らしに必要な高倉や畜舎などがセットで残っている極めて貴重な例です。おそらく沖縄本島ではここでしか(現存の形では)公開されていないのでもう少し注目されてもいいような気がします。美しく格式高い建物です。

 

[9a]徒歩 中村家住宅→中城城跡

 

それほどの距離ではないため中城城跡まで歩きます。中城城跡も世界遺産に登録されています。雨が降ってきてビシャビシャになりましたが、ここでもチケットカウンターから城登り口までの電動カート(無料)が運行されていてありがたい。

 

中城城の築城年代は正確には明らかになっていませんが、先中城按司、ついで座喜味から移転してきた護佐丸が現在の形の大枠を整えたとされており、護佐丸が阿麻和利に滅ぼされてからは中城王子の居所、ついで沖縄が薩摩藩に制圧されてからは番所として、廃藩置県後は役場として使用されていました、

城郭の中は極めて広々としており、石造りのアーチ状の門が極めて特徴的です。石積はかなり堅固なものであり、沖縄戦でも被害が少なく、保存状況はかなりすばらしいものです。雨だから観光客は少なめですが、晴れていたら与那原方面の海岸線が一望されてかなり気持ちのいいところだと思います。

 

[9b]徒歩 中城城跡→中城役場前

 

ここはかなり長い徒歩を挟まざるを得ない区間。標高差100mぐらいある坂を延々と下っていく区間です。上りだったらかなり嫌です。下りでよかった。途中の見晴らしはいいです。バスはかなりの確率で時刻表通りには来ないのでロケーションシステムで確認すると吉です。かなり次まで時間が空いていそうだったので最寄りの中城小学校前から進んで、風景印を収集していました。

[10] 東陽バス 30系統[泡瀬→那覇] 中城役場前→大里入口

 

やっとバスに乗れます。この系統は泡瀬から中城村西原町与那原町国道331号で縦断し、そこから進路を西に変えて那覇市中心部に向かう路線です。国道331号は流れが良い道であまり遅延が拡大しませんでした。与那原町は少し繁華なイメージ。その中心部を過ぎてすぐのバス停で下車。

さらに南下するならば一般的には国場交差点のあたりで乗り換えるのが定石ですが、乗り換え時間がかなり危なかったため安全策をとることにしました。

 

[10a]徒歩 大里入口→嶺井団地入口

 

これはほんの数分ですし道間違えの危険性もほぼない穏健な乗り換えです。

 

[11]南城市Nバス C2[大里・玉城線] 嶺井団地入口→長毛

 

素晴らしい。ちゃんと間に合いました。南城市Nバスは結構便利で、サービスのわかりやすさとしては他の部分の路線バスを遥かに超越しています。ポンチョで南城市南風原町八重瀬町の境界部分をグネグネと進んでいきますが、割と市外にはみ出しまくっているのが面白い。下車した長毛も八重瀬町[旧具志頭村]で、橋を渡って対岸が南城市[旧玉城村]堀川地区です。

 

長毛には港川フィッシャー遺跡がありますが、そういえば昼食を食べそびれていたことに気づき、対岸のスーパーでおいしい惣菜を購入して食べていたらバスの時間になってしまいました。

 

[12]琉球バス交通 82系統[玉泉洞糸満線] 長毛→平和祈念堂入口

 

とてもいい感じの接続で平和祈念堂へ。

平和祈念堂の内部は平日だからか誰もいなくて逆に驚きました。沖縄県平和祈念資料館は訪問時は工事中で臨時休館。平和の礎や摩文仁の丘地区にはいくつかの修学旅行生のグループが訪問していましたが、むしろ悪い意味で静寂を切り裂いているとも言えましょう(そうだとしても来ないよりは遥かに優れていることです)。それを除けば慰霊に来る人の姿はまばら。普段からこういうものだとすればなかなか寂しいものです。

 

[13]琉球バス交通 82系統[玉泉洞糸満線] 平和祈念堂入口→ひめゆりの塔

 

沖縄戦の激戦地、糸満市で訪問が欠かせない2箇所といえば先程の平和祈念公園とこのひめゆりの塔でしょう。今回はこちらしか資料館が開いていなかったのでじっくり見ようと思っていたら、展示の内容は充実しており、またその実感させる展示と事実の凄惨さを受け止めているうちに閉館時間になって最後まで見切ることができませんでした。また来よう。こちらも修学旅行生が嵐のように来て嵐のように去っていきました。

 

ところでお恥ずかしながら、帰ってから気がついたことですが、ひめゆりの塔というのは名前が刻まれた大きな石碑のことではなくて、その脇に立っている石碑のことなんですね。全然気がついていませんでした。

 

[14]琉球バス交通 108系統[糸満左回り循環線] ひめゆりの塔前(摩文仁・真壁向け)→糸満市場入口

 

閉館まで粘った結果82系統が全然来ないタイミングになってしまったので、108系統でとりあえず北上しどこか内陸で乗り継ぐ(例えば、照屋入口で446系統に乗り継ぐ)といいという検索結果だったので信用して乗ってみたところ、どんどん遅延が拡大して、乗り換えるはずだった446系統はとっくに照屋を去ってしまっていました。このままでは夕食が蒸発すると直感した私はそのまま糸満ロータリーのあたりまでバスを乗り続けました。

 

糸満の市街地は夜になると割とひっそりとしていました。偶然開いていた居酒屋に入店して、美味しい中身いりちゃーをいただきました。当然主菜は美味しいのですが、味噌汁がとびきりの美味しさ。もし飲酒しに行った場合でも味噌汁を飲みたい。

 

[15]琉球バス交通 34系統 糸満営業所→(八重瀬経由)→那覇BT

 

営業所まで行ったらまあ豊見城を通ってまっすぐ北上する系統(たとえば89系統[海沿いを北上]、446系統[やや内陸を北上])に乗れるだろうと思って軽い気持ちで行って、時間より少し早いけれどもバスが来て那覇ゆきと書いてあったので乗ってみたら、なんとかなり内陸の東風平まで東へ進んでしまいました。焦りましたが、まあ多少時間はかかったにせよ無事に那覇に着いたのでよしとしましょう。ちなみに89系統は夕方は15分間隔、446系統は30~40分間隔に対して、34系統は1日12本です。なんだかバスって難しい。

 

那覇に着いたのでとりあえず寝ました。

 

[補記]

 

おはようございます。翌日目を覚ましてみると、乗ろうとしていたフェリーざまみのダイヤが変更になっており、阿嘉島に日帰り滞在できないという事態になっていました。各海域が荒れていてどこに行く船も減便や欠航になっています。しょうがないのでもう一日バスに乗ることにしました。

 

[16]東陽バス 338系統 開南→斎場御嶽入口

宿が多い美栄橋/国際通り近辺からは、アーケードを通り抜けて開南バス停の利用が便利。

琉球王国最大の聖地である斎場御嶽に行く系統ですが、現在は多くが途中の馬天営業所や南城市役所で分断されていて、直通してくるバスは1日6本しかありません。斎場御嶽に向かう人、久高島に渡航する人などで結構混雑していました。

 

とりあえずお腹が空いたので道の駅のようなところで4日目にして初めてのサーターアンダギーを摂取。一緒に買ったもちもちカステラみたいなものが美味しかった。

斎場御嶽の中は撮影は控えるようにとはいろいろなHPに書いてあるところですが、現実には結構自撮りをしている方などはいらっしゃいました(が特に注意されていたわけでもない)。どういった扱いをしておけばいいのかはよくわかりません。名前を検索エンジンに入れると行くなとか怖いとかそういうサジェストが多く出てくるので少し慄きますが、行ってみれば確かにこれは聖地になりそうだという地形をしています。光の入り方によってはかなり神々しい感じになるのでしょう。ちなみにこの日は知念村のあたりだけやけに天気が良かったです。

入口に郵便局がある親切仕様なのですぐに風景印が収集できます。

 

[17]南城市Nバス[B1:佐敷・ニライカナイ橋・つきしろ線] 斎場御嶽入口→親慶原

 

前述の通り直通バスはあまりにも本数が少ないのでNバスで脱出します。絶景のニライカナイ橋をバスで走り抜けて、高台の住宅地を抜けると親慶原です。車窓に沖縄そば屋が見えたので適当に降車ボタンを押し食べに行ったら、かなり当たりでした。よもぎ麺や豚肉のさまざまな部位の組み合わせは、内地では一気に食べられることは少ないでしょう。

 

[17a]徒歩 親慶原→南城市役所

 

バスが来るはずだったけれども凄まじく遅延していたので歩きました。南城市役所はとても立派で、バスターミナルも感動の綺麗さ。那覇から南城市役所の市外線を集約して高頻度運転とし、ここから市内各地にNバスをきめ細やかに走らせるというのは、鉄道がない沖縄ではかなり先進的な取り組みなのではないでしょうか。とても好感を持てます。

[18]系統番号不明 南城市役所→那覇BT

あまりにも高頻度で来るので、何番か見ないうちに那覇行きますよと運転手に言われてすぐに乗り込みました。佐敷から行きと同じ道。

 

[19]沖縄バス 77系統[那覇→名護] 那覇BT→上之屋

有名な長距離系統に少しだけ乗車。この部分だけ、正確には那覇BTから国道58号に出るまでで既に10分ぐらい遅延してしまっていました。毎日こんな感じなんでしょうか。

 

上之屋から歩いて沖縄県立博物館(おきみゅー)や崇元寺石門を見学。そのあとは食事処三笠松山店で、名物料理の三笠のちゃんぽんを。どのあたりがちゃんぽんなのかは最後までわかりませんでしたが、味はとてもおいしかったです。

そのまま急いで那覇空港に向かい、飛行機に搭乗。次の旅行(次の記事)に続きます。

今回は殊に長大でしたね。最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございます。